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2020年11月29日 (日)

F-3の海外輸出とかいいから、ちゃんとまともな物を開発して欲しい

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次期戦闘機の海外輸出を見据え開発を、自民党有志が政府に提言へ!

 

 自国のみだと調達コストが高騰するから海外輸出だとか、韓国みたいな世迷言言ってますね。まずはF-35を超えるとまではいかなくてもF-35に匹敵するくらいの性能を目指すべきでは?F-2並みの調達数なら調達費が高騰って、まさか調達数たった100機未満で済ませる気なのか?(呆)

 F-35が142機だからF-3は200機以上調達すべきですよ。じゃないとまともな国防はできません。だいたいどこの国に売る気か?韓国は論外だとして台湾に売るにしても、正直いつ敵になるか分かりませんよ。国際情勢は複雑怪奇、今仲良くても未来永劫仲が良いとは限らない。第2次大戦で仲間だった米英とソ連は大戦が終わると不倶戴天の敵になりました。冷戦期ソ連に対抗するためにシナに接近したアメリカは現在シナと一触即発の危機です。ですから近隣諸国への武器輸出は絶対にしてはいけません。

 欧州はイギリスのテンペスト、フランス・ドイツ・スペインはFCASとすでに次期戦闘機計画が始動しているのでお呼びではない。おそらくアメリカも買わない。いったいどこに売る気ですか?テンペストやFCASと海外輸出で太刀打ちできると本気で思っているんだろうか?(呆)性能はそこそこでも海外輸出のノウハウがなければ売れません。輸送機C-2や救難飛行艇US-2ですら売れないのにいったいどうしてF-3が売れると思えるんだろうか不思議でなりません。

 変な欲など出さずまずは国内でのみ使う前提でまともな性能の機体を作って欲しいですね。現在伝わってる情報だと完成すればF-3は素晴らしい性能になるはず。調達コスト高騰が問題なら200機と言わず300機くらい調達すれば良い話。今のままでは日本の国防は心もとないので防衛費は少なくとも倍増の10兆円くらいにはすべきです。そして次期戦闘機は日本の国防の根幹なので防衛費とは別枠で臨時国防開発費として毎年1兆円くらいは出すべきでしょう。国民の命がかかっているんですよ。

 F-3がまともな性能で完成し他国に羨ましがられるなら、こっちが断っても向こうからオファーが殺到します。この場合モンキーモデルが前提ですけどね。じゃないと日本の軍事機密がシナに漏れて逆に日本の国防が危なくなる。まあ海外に売れるとしても、テンペスト計画、FCAS計画が失敗し緊急で新戦闘機導入の必要性が増した場合だけでしょう。その場合西ヨーロッパ限定です。

 まずはF-3をまともな性能の機体として完成させるのが大前提。コストの問題はその後。国民の命より大切な物はないんですから。皆さんはどのような感想を持たれましたか?




追伸:
 F-3の海外輸出ができるようになったとして、ポーランドは最適かもしれませんね。ロシアへの強烈な牽制になる。万が一ポーランドとの関係が悪化しても日本には飛んでこれない。ロシアとドイツが発狂するので実現はしないでしょうが…。

2020年11月27日 (金)

なぜ七王国の一つ、ウェセックスは強大化したか?

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 マイナーなイギリス史ばかり続いて付いてこれない方も多いと思います。これでイギリスシリーズは一応打ち止めなので興味ない方はスルーお願いします。

 

 5世紀初頭、ローマ帝国がブリテン島から撤退したために生じた権力の空白。それに付け込むようにブリテン島に侵攻したのはゲルマン系民族、アングル人、サクソン人、ジュート人でした。ジュート人の故地はユトランド半島の語源となった現デンマークに当たる半島北部。アングル人はその南、現在の北ドイツ、ユトランド半島の付け根に当たるシュレスビヒ・ホルシュタイン州に住んでいました。サクソン人はドイツ語読みザクセン人で現在のハンブルクを中心とするニーダー(低地)ザクセン地方出身です。

 余談ですが、現在ザクセンというとベルリンの南に位置するドレスデンを中心とするザクセン州が有名ですが、ザクセン人は南東のザクセン州から北西のニーダーザクセン州にかけて広く分布していました。カロリング朝フランク王国のカール大帝を苦しめたのがザクセン人で征服するまでに32年もかかっています。ですからほぼ全民族で移動したジュート人、アングル人と違い、ブリテン島に渡ったサクソン人はごく一部だと思います。

 アングル人、サクソン人、ジュート人を総称してアングロサクソン人と呼びますが、彼らはブリテン島のもともとの住民であるケルト人を征服して七王国を建設しました。ジュート人が建国したのはケント王国、アングル人は北からノーザンブリア、マーシア、イーストアングリア王国を建国します。サクソン人はウェセックス(西サクソン)、サセックス(南サクソン)、エセックス(東サクソン)の三つの王国を築きました。

 その中で一番強大化したのはイングランドの南西部に当たるウェセックス王国です。七王国を築いたアングロサクソン人ですが、欧州の民族移動の波は終わらず9世紀にイングランドに侵攻したのはスカンジナビア半島からジュート人の居なくなったユトランド半島まで進出していたノルマン人でした。彼らはヴァイキングとも呼ばれます。アングロサクソンよりさらに野蛮なノルマン人たちはロンドンの北からノーザンブリア全域まで含む広大なデーンロウと呼ばれつ支配地域を確立しました。

 それに抵抗したのはウェセックス王国のアルフレッド大王(849年~899年)です。彼は875年エサンドゥーンの戦いでウェセックスからノルマン人を叩き出し、海上でもノルマン人に勝利を重ねウェドモーアの和議でノルマン人の支配地域をデーンロウだけに止めます。面積だけ見るとデーンロウはイングランドの6割くらい占める広大な地域のようですが、イングランドの人口はロンドン以南のウェセックス、サセックス、ケントあたりに集中しロンドン以北は土地が貧しく人口希薄地帯でした。人が少ないからノルマン人が征服出来たとも言えます。

 アルフレッド大王の勝利は、彼個人の力量もあったでしょうが何よりウェセックスの人口、国力が他の七王国を凌駕していたのが大きかったと思います。そしてウェセックスはその後のイングランドの基礎となりました。1066年ウィリアム1世によるノルマン・コンクエストで敗北したエドワード懺悔王(在位1042年~1066年)は最後のウェセックス朝イングランド王国の王でした。

 ブリテン島のもともとの住民はフランスのガリア人と同族のケルト人です。ブリテン人とも呼ばれた彼らですが、アングロサクソン人の侵略で異民族支配を嫌った人々は現在のウェールズ地方やアイルランドに逃れました。さらに一部はフランスのブルターニュ半島に移住します。ブルターニュの語源はブリテンですからガリア人と同族であるブリテン人には住みやすかったのでしょう。ちなみにスコットランドにいた剽悍な山岳民族ピクト人は、アイルランドから渡ったゲール人と同化しスコットランド人となります。

 ですからイングランドの正統な住民を名乗れるのはC・W・ニコルさんのようなウェールズ人かもしれませんね。アングロサクソンにしてもノルマン人にしても侵略者の子孫なんですから。

2020年11月25日 (水)

アーサー王の都キャメロット

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 アーサー王伝説にでてくる都キャメロット。アーサー王に仮託される5世紀後半から6世紀初頭頃イングランドを統一したとされる王は実在したと言われます。ただアーサー王物語にある聖杯伝説や円卓の騎士などは後世の脚色で史実とは言い難いとされます。ですからアーサー王が本拠と定めたキャメロットは正確な場所が分からないというより実在しなかった可能性が高いと思います。

 ではキャメロットが全くの嘘かというと、アーサー王に仮託される当時の王が本拠と定めた場所はあるはずです。イギリスでもその観点でキャメロットがどこだったのか色々考察されているそうです。一番有力なのはイングランド南東部エセックス州にある都市コルチェスター。人口10万人ほどの地方都市ですが、紀元前から存在するイギリス最古の都市とも言われます。

 コルチェスターはケルト語で戦神カムロスの要塞を意味するカムロドゥノンと呼ばれました。その後紀元前43年ローマ軍がブリテン島に侵攻、この町を要塞化しラテン語読みでカムロドゥノムとなります。カムロドゥノムは属州ブリタンニア最初の首都となりました。紀元61年ブーディカ女王の乱で破壊され、その後属州の首都はロンディニウム(現在のロンドン)に移ります。

 しかしカムロドゥヌムも再建され、エセックスの重要都市であり続けました。5世紀にローマ帝国の支配が終わりゲルマン系のアングル族、サクソン族、ジュート族らが侵攻してくると、いつしかこの町はコルチェスターと呼ばれるようになります。ただ、考古学者モーティマー・ホィーラーはコルチェスター、ロンドン、セント・オールバンズを結ぶ三角形はアングロサクソン侵略初期も以前としてローマ人支配が続いていたと指摘し「ローマ支配の三角形」と呼びました。

 この点からも、アーサー王に仮託される王がケルト族長だった可能性は低く、ローマ軍人出身の植民市の首長、あるいはローマ帝国に雇われた傭兵隊長(具体的にはイラン系遊牧民アラン人の族長)だったと私は考えます。そしてキャメロットのモデルはローマ支配の三角形を基盤として一時アングロサクソンの侵略を防いだ王が根拠地としたコルチェスターだったのでしょう。

 

 

2020年11月22日 (日)

アーサー王伝説とサルマタイ人

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 前記事でアーサー王伝説のモデルとなった当時のブリテンの王がいたと考察しました。

 

 ローマ帝国時代、スコットランドを除くブリテン島はローマ帝国の属州ブリタンニアでした。世界史に詳しい方ならご存知だと思いますが、属州には二種類あり比較的安定し文官でも統治できる元老院属州(元老院で総督を任命)と内政が安定しないか敵が近隣に存在し軍団が駐留し武断政治をしなければいけない皇帝属州(皇帝が総督を任命)がありました。ブリタンニアは現在のスコットランドに剽悍な山岳民族であるピクト人がいたため皇帝属州でした。そして一時は第9軍団が駐留します。

 ただローマ軍団には限りがあり、より大敵であるゲルマン人やパルティアに備えなければいけなかったので第9軍団もバルカン半島に移動しました。ではブリテン島にローマ軍が全くいなかったかというとそうでもなく、ローマの退役兵たちが建設したカムロドゥヌム(現コルチェスター)やイスカ・ドゥムノニオルム(現エクセター)、エボラクム(現ヨーク)などの植民市がありました。これらの都市は民兵を提供します。

 またローマに帰順したブリテン島各地の部族が有事には補助兵を提供する約束でした。さらにローマ帝国は傭兵を雇ってローマの正規軍団が到着するまでピクト人の侵攻や内乱に備える役割を持たせました。その一つが、イラン系遊牧民のサルマタイ(サルマティア)人です。サルマタイ人は最初ドニエプル川からドン川に至る草原地帯にいました。紀元前3世紀にはオリエント世界を恐怖に陥れた黒海北岸にいた遊牧民族スキタイの衰退に付け込む形で侵略を開始し、これを滅ぼします。

 ローマ帝国とイラン高原に興ったパルティアが全面戦争に突入すると、サルマタイ人は両陣営に傭兵として雇われたそうです。元来が農耕民族で騎兵戦力に不安のあるローマ側は納得できるのですが、もともと中央アジア発祥のイラン系遊牧民族であったパルティアですらサルマタイ騎兵を頼りにしたという事は、それだけサルマタイ人騎兵が精強だったからでしょう。

 サルマタイ人も遊牧民族ですから国境を接するローマ領の属州ダキア(現在のルーマニア)あたりで略奪をしていたのでしょうが、ローマ人たちは彼らに巨利を約束し傭兵として雇う事で軍事力とします。これはゲルマン人にも当てはまり、おかげでローマ軍の軍事力は上がりましたが、兵士が異民族だらけで安定しなくなります。傭兵は利益がある限り従いますが、その利益が無くなると簡単に裏切るからです。西ローマ帝国も最後はゲルマン人傭兵隊長オドアケルに476年滅ぼされました。

 さてローマ帝国が異民族を傭兵で雇う時は、部族単位でした。というのはその方が統治しやすいからです。ブリテン島に渡ったのはサルマタイ人の中でも有力部族であったアラン人だったと言われます。西ローマ帝国の滅亡は476年ですが、属州ブリタンニアはそれより早く407年には終焉を迎えます。というのも、もともとのブリテン島の住民でローマ帝国の支配を嫌ってアイルランドに逃れていたケルト人(フランスのガリア人と同族)と、スコットランド地方のピクト人の双方から侵略を受けていたからです。西ローマ帝国はブリタンニアに総督を派遣しなくなり、植民市の住民たちは自分たちで防衛しなければならなくなります。ブリテン島の住民でローマの支配に服していたケルト人部族たちも部族制を復活させ各地に部族国家が誕生しました。

 これがアーサー王登場前のブリテン島の状況です。アーサー王は5世紀後半から6世紀初めころの人だと言われます。ですからケルト人(ブリトン人)部族の長だったか、あるいは植民市の指導者で各地に残ったローマ勢力を糾合したローマ人か、あるいは傭兵としてブリテン島に渡りそのまま土着したアラン人の首長のどれかがアーサー王のモデルだと思います。

 ここで軍事力を考察した場合、一番弱いのはローマ人植民市の民兵、次がケルト人部族兵で一番精強なのは遊牧民族のアラン人だと思います。後のモンゴル帝国でも分かる通り、遊牧民族の騎兵は少数精鋭で農耕民族の歩兵(ローマ人もケルト人も主力は歩兵)がいかに多数でも太刀打ちできません。ですから可能性としてはアラン人首長説が個人的に一番納得できます。12人の円卓の騎士というのはアラン人部隊の部隊長たちだったのかもしれません。円卓の騎士という概念も平等を尊ぶ遊牧民的なにおいがします。短期間でブリテン島を統一できたという事は軍事的に優越していなければ難しいと考えます。そしてその統治が長く続かず再び群雄割拠に戻ったというのもいかにも遊牧民族らしい。

 

 こればかりは決定的な資料がなくあくまでも個人的な想像ですが、当時のことをいろいろ想像すると楽しくなりますね♪

 

 

2020年11月20日 (金)

アーサー王終焉の地アヴァロンはグランストンベリーか?

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 アーサー王は5世紀末から6世紀初頭ブリトン人(ケルト人)を率いて侵略者アングル人、サクソン人、ジュート人などのゲルマン系諸族と戦ったとされ一応実在したと言われます。

 アーサー王の出自には様々な説があります。ブリトン人の王子説、アルトリウスという西ローマ帝国軍の指揮官で、帝国滅亡後自立しブリテンで王となったという説、西ローマ帝国の傭兵でブリテン島に土着したイラン系遊牧民の首長説など。アーサー王物語にも様々なバリエーションがあるのですが、ここでは私が理解している一番ドラマチックなものを紹介しましょう。

 

 『ブリトン人の王ユーサー・ペンドラゴンの王子として生まれたアーサー。ペンドラゴン王は悪人どもの陰謀で暗殺され生まれたての王子アーサーは忠臣に守られ城を脱出、民間で育てられます。成長したアーサーは「この剣を抜く者はブリテンの王となるだろう」と書かれていた岩に刺さった剣を引き抜き見事王となりました。

 魔法使いマーリンの助けを得たアーサーは、湖の乙女に与えられた神剣エクスカリバーを手に入れ12人の円卓の騎士とともにブリテン島の統一戦争に乗り出します。ただアーサーの留守中本拠キャメロット城で妻ギネヴィアは、円卓の騎士の一人でキャメロットの留守を守っていたランスロットと道ならぬ恋に陥りました。アーサー王の従兄弟でもある湖の騎士ランスロットとの間に不義の子モルドレッドを生んだギネヴィア。

 いつしか不倫は発覚、ランスロットは追放されアーサーとの間に戦争となりました。悪妻ギネヴィアはアーサー王の怒りを買い火刑に処せられる瞬間ランスロットにより救出されました。ただアーサーはモルドレッドが実子だと信じていたようで、彼をキャメロット城に残しフランスに逃げたランスロット一味と戦争するため軍を率い渡仏します。長引くフランス遠征。成長したモルドレッドは自分がアーサー王の実子ではなく母と謀反人ランスロットとの間の不義の子だという事実を知りました。

 衝撃を受けたモルドレッドですが、結局アーサー王に背く道を選びます。モルドレッド謀反の報告を受けたアーサー王は、急ぎブリテン島に戻りモルドレッドと最終決戦カムランの戦いが起こりました。激戦の末モルドレッドとの一騎打ちに勝利し槍で討ち取るも、アーサー王自身も深手を負います。

 死期を悟ったアーサー王は、湖の乙女に神剣エクスカリバーを返し常春の島アヴァロンに渡りました。その後アーサー王はアヴァロンの地で亡くなったともアヴァロンで生き続け今でもブリテン島の人々を見守り国家が危機に陥った時には再び立ち上がるだろうとも言われます。』

 

 これがアーサー王伝説ですが、モルドレッドの出自についても様々説がありバリエーションも豊富でこれがメインストーリーだとは言えません。時代が下って12世紀末。イングランド南西部サマセット地方グランストンベリーの丘頂上でグランストンベリー修道院長がアーサー王とギネヴィア王妃(伝説と矛盾しますが…)の棺を偶然発見、改めて修道院に埋葬しました。

 サマセット地方は沼沢が多く、アーサー王の棺が見つかったグランストンベリー・トアという標高145mの丘は、当時湿地に浮かぶ島のようになっていたと言われます。伝説の常春の島アヴァロンはグランストンベリー・トアではないかという説が有力になりました。ただ異説もありはっきりしません。

 私の個人的考察ですが、アーサー王伝説はともかくアーサー王に仮託される当時のブリテンの王がこの地に埋葬されたのではないかと考えます。ですから王が不義を犯した妻ギネヴィアと一緒に埋葬されたとしてもおかしくないし、そもそもギネヴィアは不倫などしていなかったという事になります。12人の円卓の騎士自体があくまで伝説ですからね。

 最近ではアーサー王=ローマ帝国の指揮官アルトリウス説が有力だそうですが、ブリトン人の土着の王とした方が今のイングランドの人たちにも一番納得がいくと思います。ロマンが色々溢れる話ですが、皆さんはどのような感想を持たれましたか?

«たまにまともなこと言う奴が出てくるから困る。韓国は反日して滅びてほしい。