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2008年11月25日 (火)

世界史英雄列伝その14 「ジェラール・ウッディーン ホラズム朝最後のスルタン」

◇ジェラール・ウッディーン ?~1231年(在位1220年~1231年)

1220年 父王アラーウッディーン・ムハンマド死亡を受け即位。
    モンゴルの追撃を受け首都ウルゲンジを放棄、ガズナに拠点を移す。
1221年 パルヴァーンの戦いでモンゴル軍の武将シギ・クトクを破る。
    インダス河畔の戦いで、チンギス汗に敗れる。
1225年 イラン高原進出。タブリーズ入城。
1230年 ルーム・セルジューク朝とアイユーブ朝連合軍に敗れる。
1231年 モンゴル、オゴタイ汗の追討軍をうけ、東部アナトリアで殺害さる。
    (ホラズムシャー朝滅亡)

 1221年、インダス河畔においてイスラム伝統の半月型の陣形を敷く軍。数百騎に撃ち減らされてもまだ陣形を保っていました。それを取り巻く敵の大軍は毒を塗った矢で外側からじわじわと倒していきます。

 全滅は時間の問題でした。と、そのとき劣勢の軍を指揮していた若者が、さっと軍旗を掲げると単騎インダスの濁流に人馬もろとも突っ込みます。そして溺れもせず悠々とわたり始めました。それに続き部下たちも次々と馬を濁流に躍らせます。これを見ていた敵軍の総大将、チンギス汗は、
 「人の子たるもの、かくあるべし。矢を射掛けるのをやめよ。」
 モンゴルの大軍が見守る中、盾を背負い、片手に手綱、片手に軍旗をもった勇将を先頭に全軍ゆうゆうと河を渡り、インドへ落ちていきました。
 井上靖著「蒼き狼」のなかで、私が最も好きなシーンの一つです。

 この若者こそ、ホラズムシャー朝最後のスルタン、ジェラール・ウッディーンです。
 1218年、モンゴルの使節を、自国を侵略するために入ってきたスパイと思い込みホラズムシャー朝のオトラル太守がこれを殺害。この事件をきっかけにしてモンゴルはホラズムを討つべく20万の大軍を動員し西征の途につきます。

 ゴール朝を滅ぼしイラン高原に進出し王国最盛期をむかえていたスルタン、アラーウッディーン・ムハンマドはこれを迎え討たんとしますが大敗、ブハラ、サマルカンドなどの重要都市を奪われ首都ウルゲンジから逃亡を図ります。
 モンゴル軍は執拗にムハンマドを追撃、逃げ場を失ったムハンマドはカスピ海の孤島で失意のうちに亡くなりました。

 一方、首都の守りを託されていた王子ジェラールはウルゲンジで即位しますが、モンゴル軍の攻撃の前に首都を放棄、アフガニスタン、ガズナの地に拠点を移し抵抗します。チンギス汗は、勇将シギ・クトクを派遣してこれを討たせますが、たくみに山岳地形を利用し奇襲したジェラール軍に敗れてしまいます。

 放置しておけないチンギス汗は自ら大軍を率い、ジェラールを追いました。
 さすがにモンゴル軍主力には勝てません。追い詰められたジェラールはインダス河畔で最後の抵抗をします。それが冒頭のシーンです。
 インドに落ちていったジェラールを追うのを諦めたチンギス汗は、いったん兵を引きモンゴルに帰還しました。

 領土回復に燃えるジェラールでしたが、ホラズム本土はチンギス汗の残していった軍がいました。やむなくイラン高原に進出、タブリーズに入城し王国を再興します。しかし、近隣のルーム・セルジューク朝といさかいをおこしエジプトのアイユーブ朝とくんだ敵に敗れてしまいます。モンゴルの脅威を訴えても、ジェラール自身がイランの地への侵入者でしたので、彼らは聴く耳持ちませんでした。
 そのうち、ジェラールの動きをつかんだモンゴル帝国のオゴタイ汗は、今度こそ息の根を止めるべくイラン高原に再び追討軍を送ります。

 とうてい自分ひとりではモンゴルに対抗できません。イスラム全体の脅威に各国は協力すべきでした。しかし、勇将ではあっても政治力のないジェラールは反モンゴル連合を纏め上げることができませんでした。モンゴル軍に破れ、ふたたび逃亡したジェラールでしたが、東アナトリアの地で土民に殺害され波乱の生涯を終えました。1231年のことです。
 その後、ジェラールの名をかたった反モンゴルの反乱が幾度もおきます。彼の名は反モンゴルのシンボルになっていたのです。

 王朝草創期なら、領土をひろげた偉大な王となっていたでしょう。しかしジェラールは王国の滅亡期に生まれました。歴史の皮肉と言ってしまえばそれまでですが、一瞬とはいえ輝いた瞬間があったことを幸せと考えるしかないでしょう。

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