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2008年11月24日 (月)

世界史英雄列伝その3「バーブル」

◇バーブル 1483~1530(在位1526~1530)

1483年 ティムール5世の子孫として中央アジアに生まれる。
1494年 フェルガナ領主として11歳で即位。
1504年 ウズベック族シャイバーニー・ハーンの侵入を受けフェルガナ領を失う。
    カーブルに逃れ、その地を支配。
1519年 第1次インド侵入。この時はロディ朝に敗れる。
1525年 インド再侵入、パンシャブ地方を占領。
1526年 第1次パーニーパットの戦いでロディ朝を破る。
    デリーで即位、ムガール朝を開く。
1530年 死去。

 ムガール朝のムガールとは、インド人が呼んだモンゴルのなまったもの。世界史英雄列伝といいながら、イスラム圏の人ばかり紹介している気がします。

 さて、バーブルですが世界史で記憶の片隅にある人もいると思いますが、ムガール朝の創始者であります。初めからインドを征服するつもりではなく、故郷のサマルカンドを強力なシャイバーニー・ハーンに奪われたため、しかたなく矛先を転じてインドに侵入したのですね。そんな理由で侵略を受けたインドの人達にとっては、たまったもんではないでしょうが。

 バーブルも一度はサマルカンドを奪回します。しかしウズベック族にはどうしても勝てないのです。
 ロディ朝はデリースルタン朝の最後の王朝で、バーブル侵入時政治が混乱していたのでやすやすと滅ぼされました。
 第1次パーニーパットの戦いでロディ朝は10万の大軍、一方バーブル軍は1万。よく勝ったなと思いますが、まだ中央アジアの騎兵は精強だったのでしょうね。そして砲兵隊も保有し当時のインド諸侯軍よりははるかに強力でした。ただ世界史的に火砲が発達してくると、ヒバ、ボハラ、コーカンドの三汗国がロシアに滅ぼされたり、インドもイギリスに支配されたりして、中央アジアの騎兵に対し西洋式の火砲と小銃を装備した徒歩兵の優越がはっきりしてきます。

 デリーで即位したバーブルですが、帝国が安定するのは3代アクバル大帝まで待たなければならないのです。息子フマユーンはアフガン族のシェール・シャーに一時国を奪われイランのサファビー朝に亡命します。その援助でデリーを奪回できたのは、晩年の事でした。

 バーブルは、湿気と酷暑のインドの気候が嫌いだったと伝えられます。墓もインドではなく、故郷に近いアフガニスタンのカーブルに作れと遺言したほどです。中央アジアの産物が食事にでると、故郷を懐かしんで涙しました。

 ムガール帝国はアクバル大帝のあと、ジャハンギール、シャー・ジャハン(タージマハル廟で有名)、アウラングゼーブ帝のとき、南インドまで支配して最大の領土を築き上げます。ここが絶頂期でした。その後の事は、作家陳舜臣さんの「インド三国志」で詳しく書かれてます。とても面白いので、興味のある方は一読することをお勧めします。

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