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2008年11月25日 (火)

世界史英雄列伝その11「後漢の光武帝 劉秀 」

◇劉秀(後漢の光武帝) BC6~AD57(在位AD25~AD57)

BC6年 南陽郊外に地方豪族劉氏の子として生まれる。
22年 兄劉縯に従い挙兵。
23年 昆陽の戦いで大功を上げる。
   兄劉縯が更始帝に殺される。
   更始帝により、河北の平定を命じられる。
25年 更始帝から自立し河北で即位。年号を建武と定める。(後漢王朝成立)
   更始帝、王莽の新王朝を滅ぼすも、西進してきた赤眉軍により滅亡。
   食料のなくなった赤眉軍、東へかえる。待ち構えた劉秀、これを滅ぼす。
36年 蜀の公孫述を滅ぼして、天下統一。
40年 交趾(現ベトナム)で漢の支配に反抗した徴姉妹の乱がおこる。
   伏馬将軍馬援を派遣、鎮圧。
56年 建武中元と改元。封禅の儀式を行う。
57年 倭の奴国王朝貢。金印をさずく。(志賀島の金印か?)
同年 死去。


 漢の高祖劉邦や三国志の英雄たちに挟まれて、後漢王朝の創始者劉秀はあまり知られていません。  しかし、調べてみると、非常にユニークで魅力的な人物像が浮かび上がります。
 もともと劉秀の家系は、景帝の子孫ですが幾流にも分かれとうてい皇帝になれるような家柄ではありませんでした。平和な時だったら、豪族ののんきなお坊ちゃんで生涯を終わったことでしょう。

 時代は、激動のうねりを見せます。前漢王朝が外戚の王莽にのっとられ新王朝が成立します。王莽は周代の制度に則った時代錯誤の政策を推し進めます。それによって経済がガタガタになった民衆は各地で反乱を起こします。赤眉軍、緑林軍と呼ばれる大反乱軍もいくつか出現しました。

 緑林軍の一派新市軍は南陽に流れてきて土地の豪族たちと連合します。このとき劉秀の兄劉縯もこれに加わります。しかしなかなか人が集まりませんでした。乱暴者だからです。そこで兄は弟劉秀をさそいます。ひごろ慎重でおとなしい劉秀が加わるのならと、人々はこぞって参加しました。
 反乱軍は指導者として劉玄を選びます。劉秀の本家筋に当たる人物です。更始帝と名乗りました。

 このとき面白いエピソードがあります。挙兵時馬がなかった劉秀はなんと牛に乗ってやってきたそうです。想像すると笑いますね。とぼけた味をだしています。
 南陽の反乱軍は突然危機に陥ります。王莽が40万もの討伐軍を派遣してきたのです。反乱軍は1万、昆陽城に包囲されます。ここで、劉秀は思い切った手をうちます。
わずか13騎で城を脱出した劉秀は郊外で3000騎を集め大軍を外から攻め始めました。あの慎重な劉秀のことだから大軍を引き連れているに違いない、と城内の人々は思いました。ですから死に物狂いで討って出、劉秀と内外から攻め立ててなんと王莽軍を敗走させます。

 劉秀兄弟の軍功に嫉妬した更始帝は、難癖をつけて兄劉縯を殺します。劉秀はじっと耐え続けます。そんな時チャンスがめぐってきました。
 都長安に攻め上る更始帝から、河北の平定を命ぜられます。ていよく追っ払われたのですが、これが運命の分かれ道でした。都に攻め上り王莽を倒した更始帝でしたが、もともと寄せ集めの軍隊です。各地で略奪暴行を繰り返し人心は離れます。そこへ山東から赤眉軍が攻め込み更始帝は滅ぼされます。もとより単なる反乱軍にすぎない赤眉軍は同じように略奪し、それができなくなると都を捨て東にかえろうとします。

 一方、劉秀は河北で着々と実力を蓄えていました。群臣におされ皇帝として即位します。劉秀は漢王朝の再興をうたいましたから、この王朝を後漢と呼びます。
 後漢軍は、東帰する赤眉軍を待ち伏せ、散々に撃破します。その後、各地に割拠していた軍閥を攻め36年、蜀の公孫述を滅ぼしてついに天下統一が成りました。
 後漢王朝も前漢と同様200年続きました。

 最後にいくつか面白い話をします。
 若いころ劉秀は「仕官するなら執金吾(首都警察長官)、妻を娶らば陰麗華(のちの皇后、美人で有名)」と常々言っていたそうです。実際は執金吾どころか皇帝になったわけですが。また陰麗華が許婚になったとき小躍りして喜んだそうです。なんだか人間くささがでていますね。

 もう一つ、劉秀が匈奴を討伐したときです。国境沿いの住民を内地に移住させて軍隊だけを残したそうです。もともと匈奴は食べるものを求めて略奪をするために攻め込んでいるのです。それが不可能になったら、何のために攻め込むのか分かりません。ある意味最強の匈奴対策かもしれません。こうして匈奴は略奪の道を閉ざされ弱体化します。分裂し一部は降伏してくるほどでした。
 最後に、劉秀が皇帝になり故郷南陽に錦を飾った時の事。親戚の叔母さんに「あんたのようなおとなしい子が皇帝になったとはねえ。世の中はわからないわねえ。」と言われ苦笑したそうです。

 後漢の光武帝、劉秀。なんとも魅力的な人物です。

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