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2008年11月24日 (月)

世界史英雄列伝その8「ネブカドネザル2世とバビロンの栄華」

◇ネブカドネザル2世 ?~BC562(即位BC605~BC562)

?   新バビロニアの王ナボポラッサルの長子として生まれる。
BC606年 カルケミシュの戦いでエジプト王ネコを破る。
BC605年 父王死去をうけ即位。
BC595年 イラン西部エラム王国を滅ぼす。
BC586年 ユダ王国の反乱を鎮圧。バビロン捕囚。
BC562年 死去。

 新バビロニア王国ですが、欧米ではカルデア王国と呼ぶのが一般的だそうです。ネブカドネザルの名は知らなくてもバビロン捕囚という言葉はご存知でしょう。またバビロンの栄華もこの王の治世下のことです。

 もともと新バビロニアは、カルデア人の将軍ナボポラッサルがアッシリアからバビロンを奪って建国しました。しかし単独ではアッシリアを滅ぼせず、イラン高原に勃興したメディア王国の力を借りてようやく滅ぼす事ができたのです。

 同じころ、エジプトもネコ王のもとで、アッシリアから独立をはたします。そしてシリアの地の領有権をめぐって、BC606年北シリアのカルケミシュで激突します。このときの新バビロニア軍の指揮官が王子ネブカドネザルでした。

 激しい戦闘の末新バビロニアはエジプトを下します。余談ですが、歴代エジプト王国でこの地まで進出してきたのはネコ王が初めてです。
 しかし、敗北したネコ王は逆に新バビロニアの侵攻を恐れるようになります。実際、ネブカドネザルはエジプト侵攻の準備を進めていました。ところが、ネブカドネザルのもとに父王死去の報が入ります。急遽帰国したネブカドネザルはバビロンで即位します。

 ここまで書いてきて、アッシュールバニパルと似ている事に気がつきませんか。このあとイラン西部の強国エラム王国を滅ぼすところも似ています。これで、新バビロニアは旧アッシリア領のうちエジプト以外をすべて統一したことになります。

 あとは、エジプトを征服するばかりでした。しかしエジプト遠征の策源地に予定していたパレスティナのユダ王国が反乱を起こしました。反乱自体はあっけなく鎮圧されましたが、ネブカドネザルの怒りはすさまじく、ユダヤの民をバビロニアの地に移送して奴隷にしたのです。これが有名なバビロン捕囚でした。ユダヤ人の苦難は、アケメネス朝ペルシャのキュロス2世によって開放されるまでじつに50年も続きます。

 これ以後ネブカドネザルはあまり外征をしなくなりました。そして首都バビロンの整備に力を尽くします。有名な「空中庭園」「イシュタル門」はこのとき建造されました。いわゆるバビロンの栄華とよばれるほどの繁栄をみせたのです。

 「バビロンの栄華」とは、繁栄の極に達するも長続きしないものの代名詞です。そして歴史もそのとうりに動きました。BC562年ネブカドネザル2世は死去します。それからわずか30年後、イラン高原で、メディアの後を受け実力をたくわえていたアケメネス朝ペルシャのキュロス2世によって、新バビロニア王国は滅ぼされます。

 このあたりも、アッシュールバニパルとそっくりです。歴史はくりかえすのでしょうか?

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