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2008年12月23日 (火)

世界史英雄列伝(18) ウェリントン卿アーサー・ウェルズリー 後編

ナポレオンがイギリス・プロイセン軍の合流まえに各個撃破しようとベルギー国境を越えた時、ウェリントンはブリュッセルの舞踏会に出席していたそうです。
 ナポレオン率いるフランス軍は12万4千、一方イギリス・オランダ軍は9万5千、プロイセン軍12万でした。しかし、6月18日決戦の地ワーテルローで対峙したときフランス軍7万2千、英蘭軍6万8千と兵力差は減少していました。どういう事かというと、2日前リニーでナポレオンはプロイセン軍を撃破、グルーシーに3万の部隊を与え追撃させていたのです。

 ウェリントンはなだらかな丘に部隊を展開し、裏側の斜面に予備隊を配しました。ナポレオンは敵両翼に攻撃を加え、敵が注意を両翼に向けた時、一気に中央を猛撃して突破する戦術だったといいます。ウェリントンの作戦は待ちです。
 折からの雨で大砲が身動き取れないと判断したナポレオンは戦闘開始を昼に遅らせます。これが致命的判断ミスだったと指摘する史家もいるほどです。たしかに時間はウェリントン側に味方します。待てばプロイセン軍と合流し数の上で圧倒的優勢になるからです。ナポレオンはこのとき体調を崩していたとも伝えられます。
 1815年6月18日午前11時、戦闘開始の命令が出されました。その30分後砲撃開始されます。

 まず戦いは英軍右翼ウーグモン城館にたいするフランス軍の攻撃から始まりました。午後1時半には英軍左翼のパプロットの建物が仏4個師団の突撃で落ちました。英軍中央も危機に陥ります。英軍サー・トーマス・ピクトン将軍が戦列の穴を埋めるべく奮戦しますが戦死してしまいます。

ウェリントンは重騎兵2個師団に突撃命令を出します。英騎兵はフランス軍砲列に突入、砲兵を斬りまくりますが、仏騎兵の反撃にあい壊走します。
 午後3時、仏軍の攻撃が激しくなったのでウェリントンは戦列を下げることにしました。しかしこれをフランス軍ネイ元帥が英軍退却と勘違いし、5千の重騎兵で突撃します。待ち構えた英軍は、方陣をつくり反撃、ネイは大損害をだしました。

 ナポレオンはプロイセン軍を警戒していました。それよりもはやくグルーシーの3万がかけつければ、ナポレオンの勝ちです。しかし、右後方からやってきたのはプロイセン軍のほうでした。実はプロイセン軍はリニーの戦闘で破れ司令官ブリュヒャ-自身も重傷を負っていました。これまでのプロイセン軍なら壊走するはずでした。しかし参謀総長グナイゼナウに率いられたプロイセン軍は今までとはちがっていました。シャルンホルスト、グナイゼナウらに鍛えられ精強な軍隊に生まれ変わっていたのです。
 グルーシーは完全にプロイセン軍に振り切られた形となり、重要なこの戦場には結局間に合いませんでした。

 ウェリントンはフランス軍の突撃に備え、左右から予備部隊を中央に集め厚くしていました。夕方、ネイは歩騎共同での突撃をナポレオンに願いでますが、プロイセン軍に備えていたナポレオンに断られます。
 なんとかプロイセン軍を抑えることのできたナポレオンは、近衛軍を出動させ、決着をつけようとします。英軍は麦畑に伏せて待ち伏せします。仏軍の突撃は2回おこなわれ2回撃退されました。

 そうこうしているうちに、プロイセン軍がフランス軍側面に攻撃を始めます。呼応するようにウェリントンも全軍総攻撃の命令を出しました。なんとか持ちこたえていたフランス軍も、この攻撃には耐えられず壊走します。味方の敗走を援護して最後まで戦場にとどまっていた近衛軍もついに全滅。フランス軍の戦死者は3万にもおよびました。一方英軍も2万2千の損害をだします。いかに激戦であったかこの数字を見てもわかります。
 ナポレオンの百日天下はこれで潰えました。戦後、ナポレオンは大西洋上の絶海の孤島セントへレナに流されその地でさびしく没します。
 ナポレオンを倒した救国の英雄ウェリントンは1828年、首相となります。彼の政治はその戦術のように慎重で手堅く、しかも現実的でした。ただ面白みのない性格だったようです。

 とにかく、天才ナポレオンとは対照的な秀才型ともいえるウェリントン。この関係はロンメルとモントゴメリーとの関係にも似てます。そういえばモンティの戦法もウェリントンと似てなくもないかなと思います。
 天才が悲劇的な最後を迎えがちなのにたいして、秀才は歴史的に見ても終りを全うするものなのです。

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