2022年1月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月

2009年2月 5日 (木)

世界史英雄列伝(25) マンネルへイムと冬戦争(ソ芬戦争) - 後編 -

スターリンの露骨な侵略である「冬戦争」は、世界中から同情を寄せられました。アメリカは、「余剰」という名目でしたが、旧式の「ブリュースターF2Aバッファロー」戦闘機を44機援助します。その他各国から武器・資金の援助がありましたが、本格的な介入は、ソ連との決定的な対立をもたらすということで見送られます。


 自分たちだけで戦う覚悟を固めたマンネルへイムは、敵を本国深く誘い込んで補給路を叩く作戦を取りました。極寒の中、スキーを装備したフィンランド軍はソ連軍の正面を避け、補給路を徹底的に攻撃します。「モッティ戦術」という、待ち伏せ、包囲作戦でソ連軍を翻弄しました。

 一方、ソ連側は、この戦争が短期で決着すると甘く見ていました。ろくな冬季装備をしていなかったので補給路をズタズタにされると、被害を拡大させました。空中でも、数は少なくとも精強なフィンランド空軍のバッファローは、ソ連軍のポリカルコフI15、I16戦闘機を圧倒、何人ものエースパイロットが誕生しました。バッファロー戦闘機は「空の真珠」と称えられました。

 第2次世界大戦では、日本のゼロ戦、隼に完敗し評価の低いバッファローですが、ここではまるで別の戦闘機のように大活躍しました。


 国際的にも同情を集め9000人もの義勇兵がこの戦争に参加します。ヘルシンキにいた外国の特派員は、「雪中の奇跡」として、この善戦を報じました。

 北部、中部戦線はゲリラ戦に苦しみ、南部のマンネルへイム要塞線はびくともしませんでした。こうなるとあわてだしたのはスターリンでした。簡単に決着すると安易な気持ちで始めた侵略戦争が思わぬ苦戦で、国際的な威信が失墜しようとしていたのです。
 総司令官を更迭したスターリンは、犠牲をいとわない攻撃でカレリア地峡の突破を命じます。こうなると数に圧倒的な差があり激戦の末、要塞線は突破されました。

 
 マンネルへイムは、このままでは国家そのものが滅ぶと危惧し、屈服の道を選びます。
 講和条件は過酷なものでした。フィンランド第2の都市ヴィープリを含む全カレリア地峡の割譲、巨額の賠償金を支払ってフィンランドはソ連の影響圏下に置かれます。
 第2次世界大戦中には、ドイツと組んで奪われた領土を奪回しようとしますが、敗戦により断念。しかしかろうじて独立を保ちえたのは、大統領であるマンネルへイムの手腕でした。


 フィンランドは小国ですが、いまも世界中に一目置かれています。それは冬戦争での誇り高き善戦によるものです。独立国としての矜持、それは同じ敗戦国となって、土下座外交を繰り返し世界から嘲笑の的と成り下がったある国とは大違いです。


 今からでも遅くありません。国としての誇りを取り戻す事こそ、日本の急務なのではないでしょうか?私鳳山は、フィンランドの国と国民を羨ましく思います。救国の英雄、マンネルへイムを持った事を!


最後にマンネルへイムの言葉で締めくくります。
「自らを守りえない小国を援助する国はない。あるとすれば、何か野心があるはずだ。」

世界史英雄列伝(25) マンネルへイムと冬戦争(ソ芬戦争) - 前編 -

◇カール・グスタフ・エミール・フォン・マンネルへイム  

1867年~1951年。フィンランドの軍人・政治家。国家元首、大統領(在位1944年~1946年)

 皆さん、フィンランドと聞いてなにを連想しますか?森と湖の国、平和な国。そのあたりでしょうか?しかし、この国の歩んできた苦難の歴史を知る人は多くありません。古代、欧州を席巻したフン族の末裔が建てた国であることから名付けられたフィンランド。彼らはスオミと自称しています。

 この誇り高い遊牧民の建てた国は、まずスウェーデン、ついでロシアという周辺の強国に支配され続けました。ロシア革命によってようやく独立を勝ち取った彼らですが、ソ連の露骨な侵略を経験します。

 1939年11月30日、ソ連軍は突如として、フィンランド国境を越えます。スターリンが、バルト海周辺各国に「防衛をしてやるから、軍を駐屯させろ」という要求をし、さらにフィンランドに対しては、レニングラードに近い、カレリア地峡にある要塞マンネルヘイム線の非武装化を求めました。当然、こんな理不尽な要求は拒否されます。

 すると、スターリンはフィンランド人共産主義者にフィンランド人民共和国政府を設立させ、人民をまもるためという、とんでもない屁理屈で侵略を正当化しようとします。

 露骨な侵略行為は世界中から非難されました。1939年12月4日には、国際連盟から追放されました。脱退ではなく追放です!いかに理不尽な侵略だったか、これで証明されるでしょう。

 23個師団45万の大軍が、北部・中部・南部の三方からフィンランドに攻め込みました。守るフィンランド軍は三分の一の16万。戦いはあっというまに決着がつくかと思われました。
 しかし、フィンランド軍総司令官マンネルへイム元帥の指揮の下、信じられない粘りをみせます。

 カール・グスタフ・エミール・フォン・マンネルへイム、いったいどのような人物だったのでしょうか?実は彼はフィンランド出身のロシア帝国の将軍でした。日露戦争にも騎兵指揮官として従軍しています。このとき近代化された軍隊である日本軍に強い興味を抱いたといわれています。

 祖国が、ロシア革命に乗じ独立しようとした時、独立派の指導者として祖国に帰国します。共産主義者を祖国から駆逐しついにフィンランドは独立に成功しました。
 マンネルへイムは常に白い毛皮を身にまとっていたため、味方からは「白い将軍」敵からは「白い悪魔」と怖れられたそうです。

 
 マンネルへイムはどのようにして、祖国を防衛したのでしょうか?後編では具体的な戦争の経過とその後を見ていきましょう。

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »