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2009年6月13日 (土)

『徴姉妹の乱』

 ベトナムの北部トンキン湾に面した一帯は、漢字で越南と書きます。伝説では中国の戦国時代に滅ぼされた越の一派が南下してこの地に至ったものとも言われています。一方お隣のタイは、同じく楚と同族と言われていますから、漢民族の拡大とともに辺境に追いやられたのでしょう。越族もタイ族(楚)も華中から華南にかけて広く分布していたと想像されます。


 トンキン湾沿岸に落ち着いた越族でしたが、秦王朝が大陸を統一するとこの地にも進出してきます。嶺南三郡のひとつ象郡がこの地におかれますが、秦末の混乱期に南海郡太守の趙佗が桂林郡と象郡を合わせて独立、「南越国」を建国しました。

 これが漢民族によるベトナム支配の始まりとして民族に深く記憶されました。ところでベトナム人はおとなしく異民族支配を受け入れる民族ではありませんでした。何度も反乱をおこしついには独立を勝ち取るまでになりました。特に元朝には三度も侵略を受けながら得意のゲリラ戦法で撃退に成功しています。


 そのベトナム史上最初の異民族支配に対する反乱が、この『徴姉妹の乱』です。


 反乱の指導者である姉の徴側(ちょうそく[チュン・チャック])と妹の徴弐(ちょうに[チュン・ニ〕)は、ベトナムのジャンヌ・ダルクとも称され国民的英雄になっているそうです。この姉妹、生没年は不詳ですが老婆やおばさんだと面白くないので、うら若き美女として書きすすめます。



 南越が漢の武帝によって滅ぼされると、北ベトナムは再び異民族支配を受け入れます。漢はこの地に交趾郡を設け支配しますが、時の太守、蘇定(水滸伝に出てくる曾家の武芸副師範じゃありません、同じ名前だけど・爆)が悪政を布いたため越人たちの不満は限界に達しつつありました。

 徴氏は土地の有力者で、漢人太守に代わって租税を取りまとめる役をしていたそうですが、あるとき徴側は夫である詩索(ティ・サック)を漢軍に殺されてしまいます。

 殺された理由ははっきりしないのですが、漢人にとって異民族である越人は税を取り立てる対象で奴隷だという認識しかなかったのではと想像します。辺境に来るような者は、ひと財産を築くためひどい収奪をしていたのでしょう。あまりの暴虐ぶりに抗議した詩索をうるさくなった蘇定が殺したというのが真相に近いのでしょう。


 しかし、これがきっかけとなって紀元40年越人たちはついに怒りを爆発させ、漢族支配に対する反乱を起こしました。反乱軍のリーダには土地の有力者で詩索の妻でもあった徴側とその妹、徴弐が祭り上げられました。加わったのは合浦・九真・日南各郡65の県の貉将・貉侯と言いますから北ベトナムのほとんどが反乱に加わったのでしょう。


 徴姉妹は戦象の上に乗って反乱軍を指揮、またたくまに駐留していた漢軍を撃破します。もともと剽悍な民族である越族が異民族支配に怒っていたのでその強さは恐るべきものでした。

 徴側は「徴王」を自称し、自らの宮殿を築き独立を宣言します。事態を憂慮した後漢の光武帝は名将、伏波将軍・馬援を総大将、劉隆を副将に任じ反乱鎮圧を命じます。

 馬延は大軍では補給が困難だからと、2万の兵力で進軍しました。しかしそれでもジャングル地帯を進む漢軍は補給に苦しんだといいます。悪天候と疫病にも悩まされました。

 一方、徴軍も厭戦気分が蔓延していたため決戦に訴えるしかありませんでした。紀元43年両軍は浪泊と言う場所でぶつかります。

 数は徴軍のほうが勝っていたはずですが、初めて対戦する漢の正規軍、しかも名将馬延の指揮となれば勝負は見えていました。大敗した徴軍は数千の戦死者を出し1万人が捕虜になりました。

 徴姉妹は側近とともに危機を脱しましたが、馬延の追及は厳しくついに捕らえられ処刑されます。姉妹の首は遠く後漢の首都洛陽に送られ晒されました。

 
 馬延が完全にこの地を制圧するには数年かかったと言います。負けはしましたが、強大な異民族に抵抗した徴姉妹の名はその後も深く民族に記憶されました。いまでもベトナムの人たちは彼女たちを愛し、通りの名にしたり、神として祀っているそうです。

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