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2009年6月13日 (土)

世界史英雄列伝(35) 宋の太祖 趙匡胤 - 非凡なる凡人 - (前編)

 959年、五代随一の名君といわれる後周の世宗が崩御すると、後を継いだのはわずか七歳の恭帝でした。皇帝の代替わりの混乱期に付けこむのは契丹族の得意戦法です。このときも大軍を起こして国境を越えてきます。

 後周朝廷では、国家存亡の危機に殿前都点検(近衛軍長官)趙匡胤に全権を預け事に当たらせることにしました。首都開封を進発した北伐軍は陳橋の駅で一泊します。
 いつものように深酒をして眠り込んでいた趙匡胤は、夜半周りが騒がしいのに気がつき目を覚ましました。すると、自分はいつのまにか黄包(天子が着る服)を着せられ、諸将が万歳をしてるではありませんか。

 「どういうことだ?」いぶかしげに訪ねると、弟で腹心の趙匡義が代表して答えました。
 「兄上を天子に推戴することを、諸将たちで話し合って決めました。」
 「わしを謀反人に仕立てあげる気か!」
 「兄上はすでに天子だけしか着る事を許されない黄包を着ています。謀反はすでに始まっております」
 「・・・」
 「現陛下は幼帝(七歳)におわします。戦乱の世を統べていくには恐れながら力不足でございます。国 を保つには兄上に天子になって頂くしかないのです。」
 「嫌だといったら?」
 「兄上を刺し殺し、我らは自害して果てる所存です」
 「・・・、わかった」

 歴史上、自分から望まずに皇帝になった人物は趙匡胤だけでしょう。実直で与えられた仕事を誠実にこなす彼は、天才肌だった世宗に厚く信頼されます。だだ実直だっただけでなく軍事的才能もあったのでしょう。殿前都点検にまで登りつめたのはその証明です。

 客観的にみて、当時の状況は七歳の幼帝で治められるような生易しいものではなかったはずです。通常、趙匡胤ほどの地位にあれば自分が皇帝になって世を治めようとする野心がでてきて当然でした。しかし、彼は諸将に推戴されるまで、そのような野心など毛ほどもなかったのです。
 伝えられる肖像画を見ていただくと分かりますが、彼はユーモラスな顔をしています(失礼)。徳のある長者とでもいいますか。ともかく乱世を治めるのに彼ほどふさわしい人物もいませんでした。

 開封に戻った趙匡胤は、恭帝から禅譲を受け「宋」を建国します。廟号は太祖ですので、以後は太祖で統一します。帝位につくに際し太祖は諸将に約束させます。

 一、旧帝室である柴氏一族にけっして危害を加えないこと。
 二、言論を理由に士大夫を殺してはならない。

 この言葉は、太祖趙匡胤の遺訓とされ歴代皇帝はこれを守りました。実際、柴氏は貴族として大切に扱われ300年も続いたそうです。

 後編では太祖の統一事業と晩年を見ていきます。

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