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2009年6月13日 (土)

世界史英雄列伝(31) チンギス汗 - 後編 - 『草原の覇者』

 ケレイト族のトオリル=ハーン、ジャダラン族のジャムカと同盟を結び三大勢力の一つとなったモンゴルでしたが、まだまだ他の二つに比べると大人と子供ほどの力の差がありました。
 テムジンは盟友(アンダ)であるジャムカの傘下にはいって勢力の拡充を図ります。初めは両者の仲は良好でした。しかし、テムジンの声望を慕い各地の部族がモンゴル族に参加し、それがジャムカ配下の部族にまで及び始めたので、両者の仲は次第に険悪になっていきました。
 
 自分の配下がどんどんテムジンの方に去っていく現実にいらだったジャムカは、奇襲によってテムジンを秘かに葬り去ろうと企みます。危険を察知したテムジンは傘下の部族を引き連れてジャムカのもとを去りました。
 ある日、ジャムカの一族がテムジン配下の部族の家畜を略奪しようとして反対に殺される事件が起こります。これにより両者の関係は決裂しました。両者はバルジェット平原で激突します。1195年のことです。
 「十三翼の戦い」と呼ばれるこの戦いで勝利したのは強大なジャムカでした。しかし、捕虜を釜茹でにするなど残虐な振る舞いによって人望を失い、逆に敗れたテムジンの方に投ずる部族が続出します。
 テムジンは敗戦の痛手を、急速に回復しました。

 同年、金がモンゴル高原西部に割拠するナイマン部を攻撃します。テムジンはトオリル=ハーンと共同してこの討伐戦に参加、金より「百人長」の称号を授けられます。トオリルは「王」の称号を与えられ、以後「王(ワン)=ハーン」と名乗ります。これが中国の歴史書にテムジンが登場した最初だと言われています。

 1202年、王(ワン)=ハーンと同盟して、東方諸族の盟主となっていたジャムカを攻撃したテムジンは、その軍を破りケレイトと並ぶ二大勢力に成長します。しかし、両雄並び立たず、両者は一方を倒す機会を虎視眈々と狙っていました。
 1203年、ジャムカは王(ワン)=ハーンを頼って亡命してきます。ジャムカの讒言を容れた王(ワン)=ハーンはテムジンの牧地を襲います。不意打ちで敗れたテムジンはオノン川から北に逃れ体勢を立て直しました。
 そして反対にケレイト族の本営を探し出し急襲します。油断していた王(ワン)=ハーンは討たれ、モンゴルはついに高原の中央を占める大勢力になりました。ただ、またしても宿敵ジャムカを取り逃がします。

 1205年、高原に残った敵西方のナイマン部と北方のメルキト族を討ったテムジンは、ついに宿敵ジャムカを捕らえました。テムジンはかっての盟友で、むかしボルテを取り戻すときに協力してくれた恩を思い出し、ジャムカを助けようとします。
 しかし、誇り高き英雄はこの申し出を拒否、「高貴な死に方で殺されるのが望みだ」と答えました。ジャムカの望みとおり処刑したテムジンは、彼を遺言通り小高い丘の上に葬りました。

 1206年2月、テムジンは本拠地オノン川上流に旗下のすべての部族の代表を集めクリルタイを開きます。この集会で「大ハーン」の位に就いたテムジンは、以後『チンギス汗』と名乗りました。

 蒼き狼の子孫達はついにモンゴル高原の覇者になったのです。以後彼らの征服欲は世界に向けられました。剽悍な騎馬軍団は中国・中東・ヨーロッパを荒らしまわります。モンゴル帝国の時代でした。

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