世界史英雄列伝(31) チンギス汗 - 前編 - 『蒼き狼の登場』
世界史英雄列伝もついに31回を数えるようになりました。思い返せばこのブログを始めたきっかけはこの英雄列伝が書きたかったからでした。今回は誰でも知っているチンギス汗をご紹介します。しかし、高原を統一してからの征服事業は知っていても、その生い立ちはあまり知られていないのではないかと思います。
もともとモンゴルという名は、この高原に割拠する一部族の名前にすぎませんでした。記録の習慣のない彼ら遊牧民の歴史は周辺の中国の文献にあたるしかないのですが、テムジン幼少期の記録はありません。多くは彼らの民族的叙事詩『元朝秘史』に頼るしかないので、はっきりとした年代が不明です。だいたい12世紀の終りから13世紀初頭のできごとだと思ってください。
チンギス汗は即位する前、テムジンという名前でした。テムジンの属するボルジギン氏族はモンゴル部の有力家系で、父エスガイの時代に高原中央部を占める大勢力ケレイト部のトオリル=ハーンと同盟を結び勢力を拡げます。
テムジンの母、ホエルンはオルクヌウト部族出身でメルキト族に略奪され、それをエスガイが二重に略奪して妻にしたものでした。まもなく妊娠したホエルンはテムジンを生みますが、どちらの子供かはっきりと分かりませんでした。この出生の秘密がテムジンの生涯を悩まします。彼は、『蒼き狼と白き牝鹿の子孫』であるモンゴル部族の子供である事を証明するために戦い続けたとも言えます。
現代人の我々から見ると壮絶な話ですが、文化と言えるものもない高原では、遊牧民たちは生きるためには奪い殺すという弱肉強食の生存競争のなかに暮らさなければならなかったのです。
エスガイは成長したわが子のために、文明国「金」との国境に近く文化的生活をおくっていたオンギラト族のボルテという娘を婚約者にします。しかし、テムジンがボルテを正式に迎える前に、エスガイは宿敵タタル族に宴席に招かれそこで毒殺されてしまいました。
指導者を失ったモンゴル族は混乱に陥ります。エスガイ以外に有力指導者のいないボルジギン氏族に代わってタイチュウト氏族がモンゴル部の実権を握りました。寡婦ホエルンとテムジンたち家族を除いて、部族民ことごとくがタイチュウトに寝返りました。
のけ者にされたテムジン一家はオノン川上流を遡り自分達だけの牧地をつくります。孤立していたため物資の交換もままならず生活は悲惨を極めました。
さらに追い討ちをかけるように、テムジン一家の息の根をとめるべくタイチュウト族が襲撃します。かろうじて逃げおおせた一家は、さらに上流に逃れるしかありませんでした。
ある時、遊牧民にとってもっとも大切な馬8頭が盗まれるという事件が起こります。これを追跡したテムジンは、途中立ち寄った部族で話を聞いて追跡に協力してくれた一人の若者と出会います。目から鼻に抜ける才気を持った若者と、テムジンは意気投合します。この若者こそ後にモンゴル帝国勃興に尽力した四俊の一人、ボウルチュその人でした。
成人したテムジンは小さいながらも一つの勢力となります。彼を慕ってボウルチュをはじめ多くの人材が集まりました。テムジンはオンギラト族から妻ボルテを迎え幸せな生活をおくっていました。
しかし、20年前ホエルンを奪われたメルキト族は復讐の時を狙っていました。テムジンが部族を留守にした隙を突いて新妻ボルテを略奪します。
怒り狂ったテムジンでしたが、メルキト族をテムジン一人で相手にすることは無謀でした。テムジンは高原の実力者ケレイト族のトオリル=ハーンの力を借りることにしました。かねてからメルキトの勢力を目障りに思っていたトオリル=ハーンは協力を快諾、ジャムカという者と共同して攻める事を提案します。自分とあまり変わらぬ年代のジャムカと盟友(アンダ)の誓いを結んだテムジンは三方からメルキト族を攻撃し、滅ぼしました。
ところがようやく奪い返したボルテは妊娠していました。涙ながらにテムジンの子だと訴えるボルテを尻目にテムジンは生まれてきた子供にジュチ(客人)という名前を与えました。
父と同様ジュチもまた過酷な運命を背負わされたのです。蒼き狼の子孫だということを証明するためにジュチもまた戦い続けなければなりませんでした。
トオリル=ハーン、ジャムカと結んだテムジンは高原で一目置かれる存在になっていきました。後編ではテムジンのモンゴル高原統一の歴史を見ていきます。
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