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2009年6月13日 (土)

邯鄲の戦い   - 信陵君の義 -

 趙の国力を大きく衰退させた長平の戦いから二年、紀元前258年秦は趙の都邯鄲を大軍を持って包囲します。率いる秦将は名将白起。趙の滅亡は時間の問題となりました。

 しかし、秦の宰相范雎はこのまま白起が趙を滅ぼす大功をあげると勲功が巨大になりすぎ自分を凌ぐようになると警戒し秦王に白起の罷免を進言します。昭襄王も楚を破り国都を陥れ、韓魏を攻めては24万を殺し、長平では趙兵40万を生き埋めにした白起がこれ以上大功をあげるのを恐れているのは同じでした。

 君臣の意見は一致し白起は秦軍の大将を罷免されます。これに不満を持った白起は以後病気と称して家に篭ります。その後形勢が変わって出馬要請があってもこれを固辞し続けたため秦王は怒り自害をさせました。これが悲劇の英雄、白起の最期です。


 一方、邯鄲ですが将は代わっても秦軍の有利な状況は同じでした。長平の戦いで国内の成年男子すべてを失ったといわれるほど打撃を受けていた趙は、首都邯鄲を守る兵も老弱の兵か、未成年の少年兵ばかりでした。必死の防戦も遠巻きにして兵糧攻めをする秦軍に陥落は時間の問題となっていました。

 邯鄲の兵糧は尽き、趙の孝成王の叔父で宰相であった平原君・勝は他国に救援を求めるべく使者を各地に派遣します。大国楚は食客たちの活躍もあり春申君を動かし楚王の救援軍派遣をとりつけます。しかし、平原君が一番期待したのは隣国・魏の援軍でした。

 実は魏の宰相、信陵君・無忌は妻の弟だったのです。平原君は何度も使者を出して援軍を要請します。しかし、秦はすでに魏に手を回し趙に援軍を出したら魏を先に攻めると脅していたのでした。


 信陵君の必死の嘆願にも、秦を恐れる魏王はうんとは言いませんでした。業を煮やした平原君は
「貴方は実の姉を見殺しにするのですか?」と詰問の手紙さえ出しました。


 国王と平原君の板ばさみになり苦慮する信陵君は、自分の食客数百名だけで援軍に向かおうと決意します。しかし食客の一人侯嬴に諌められます。
「貴方の手勢だけでは犬死するだけです。ここは国軍を動かすべきでしょう。王の手元から割符を盗み軍の指揮権を奪いなさい」と策を授けられた信陵君は、侯嬴の言う通りに見事割符を手に入れました。


 この割符を使って将軍の晋鄙に兵を出すように求めますが、晋鄙はこれを疑って出兵を拒否します。王に確認をすると主張する晋鄙。このままでは割符を盗んだ事がばれてしまいます。

 やむなく信陵君は命令違反としてこれを殺しました。非常手段で兵権を握った信陵君は十万の魏軍を率い邯鄲に急行します。魏の援軍に最後の勇気を振り絞った趙軍は呼応し内外から秦軍を攻めたため、ついに包囲は解け秦軍は敗走しました。


 邯鄲を救ったのは信陵君の義でした。しかし勝手に魏軍を動かした事には変わりありません。安釐王の怒りを買うことは分かっていました。信陵君は
「私は罪があるが、命令に従っただけの魏軍には罪がない」と軍隊だけを本国に帰し、自分は食客とともに趙に亡命しました。


 趙は信陵君を救国の英雄と大歓待しましたが、魏はそのために秦の恨みを買い連年侵略を受けることになりました。困り果てた安釐王は信陵君に帰国するよう手紙を書きました。

 はじめは疑っていた信陵君でしたが、祖国の危機を見捨てる事ができずついに帰国します。王と信陵君はお互いに涙を流して再会を祝したそうです。信陵君の義は天下に鳴り響いていました。

 将軍として五ヶ国の軍を指揮した信陵君は、秦軍を撃ち破り魏を滅亡から救いました。信陵君がいる限り魏を侵略できないと悟った秦は、殺された晋鄙の食客を雇い信陵君が魏の王位を狙っているとの流言を流させます。

 魏王は、天下に名声が轟いていた信陵君を疑うようになりました。これで鬱々とした信陵君は酒びたりの日々をおくりついに体を壊し死去します。




 信陵君は義侠に富み人には謙り、士を愛しました。後の人々からも愛され漢の高祖・劉邦は特に彼を敬愛したといいます。信陵君の出身地だった大梁を通るたびに信陵君の祭祀を行い、信陵君の墓守として五家にその役目を与えたそうです。

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