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2009年6月26日 (金)

甲斐武田一族(完結編)

 長々とお付き合い頂いてありがとうございます。軽い気持ちで始めた記事が、まさかここまでになろうとは…とにかく、気を取り直して武田家終焉の歴史をご紹介します。

 偉大なる父、信玄の後を受けて甲斐源氏武田家二十代を継いだ勝頼でしたが、彼には出生にまつわるハンディがありました。諏訪四郎勝頼という名の通り、彼の母は諏訪頼重の妹でした。信玄が諏訪氏を滅ぼしたとき、側室にしたものです。武田家には嫡男義信がいたため、勝頼は諏訪氏を継ぎます。武田家中においては、滅ぼした諏訪氏の血を引くと言う事で、微妙な立場でした。
 しかし、駿河侵攻に反対した義信が自刃すると、勝頼は信玄の後継者と見なされるようになります。

 信玄以来の重臣は、勝頼に信服しませんでした。偉大な父と、なにかと比較され勝頼自身も面白くなかったと思います。しゃにむに外征をくりかえし、高天神城を落とすなどします。もし義信が後を継いでいたら、ここまで戦をしなかったかもしれません。まず、国内を固めることから始めたはずです。諏訪氏の血を引いている勝頼だからこそ、実績をしめして老臣たちを納得させなければなりませんでした。

 天正三年(1575年)、武田氏を裏切って徳川氏についた三河長篠城主奥平信昌を攻めるために、勝頼は一万五千の兵を率い出陣します。急報を受けた家康は織田信長に援軍を依頼、信長は三万の大軍をもってこれに応じました。徳川軍八千とあわせて三万八千の大軍が設楽が原に陣を敷きます。奥平勢の頑強な抵抗にあい長篠城を攻めあぐねていた武田軍は、背後に巨大な敵軍を迎えました。

 ここで勝頼の選択肢として、軍を引くという手もありました。ただ現実には追撃を受ける可能性もあるわけで、決戦に追い込まれたともいえます。
 当時の評では、武田兵一人で、織田兵三人を相手できると言われていました。しかし、それは外交上手の信玄が作り出したイメージで、実際はそうでもなかったという説もあります。

 ところで長篠(設楽が原)の合戦といえば、信長の『三千挺の鉄砲による三段撃ち』が有名ですが、最近の研究では疑問視されています。三段撃ちではなく、弾と火薬を一体にした『早撃ち』ではなかったかとも言われています。それよりも、特筆すべきは野戦築城にありました。馬防柵と堀を何重にも組み合わせ、ほとんど城とでも言うべき陣城を完成させていたのです。完璧に防御されている陣城に接近する武田軍を、安全な柵内から鉄砲で一斉射撃するのですから、負けるはずがありません。しかも三倍の大軍です。信長の凄みはここにあります。完璧に勝つ体勢を作ってから、戦いにいどむ、設楽が原の合戦は信長快心の勝利でした。
 
 一方、武田軍では山県昌景、馬場信春、内藤昌豊、原昌胤ら歴戦の勇士たちが無謀な突撃で次々と討死にしました。武田家の行く末を絶望しての自殺だったとも言われています。勝頼はわずかな手勢を率い甲斐に逃げ帰りました。そのまま追撃しないのが信長の恐ろしいところです。このままほうっておけば、武田家は自然に自壊するという読みでした。

 それから七年後の天正十年、織田信長は十七万もの大軍を率い甲斐攻略の軍を発します。信長の読み通り穴山信君、木曽義昌らがすでに次々と寝返っていました。勝頼は謙信亡き後の越後の「御館の乱」に介入したり、北条氏と戦ったりして国内は疲弊していました。織田の侵略に備えるため築城した新府城も領民の大きな負担となっていたのです。

 戦いはあっけなく進みました。唯一、抵抗らしい抵抗を見せたのは勝頼の弟、仁科五郎盛信が籠城する高遠城だけでした。新府城での防衛を諦めた勝頼は、城を焼いて落ち延びます。重臣の一人真田昌幸は自領の上野に落ちて再起を図るよう進言しましたが、小山田信茂が自分の城、岩殿城に籠城することを勧めたため、こちらに向かうことにしました。歴史のIFですが、もし真田昌幸に従っていたら勝頼は生き残っていたかもしれません。しかし、武田家譜代の小山田信茂を信じたのです。ところが土壇場で信茂は裏切ります。岩殿城への入城を拒否したばかりか逆に攻める気配さえみせたのです。背後には織田軍先鋒滝川一益の軍勢が迫っていました。

 進退窮まった勝頼一行は天目山において、一族郎党とともに自害して果てました。ここに甲斐源氏の嫡流武田氏は滅亡します。なお、江戸時代に再興した武田家は、盲目のため出家していた信玄の二男信親(龍芳)の子孫です。

 いかがでした?楽しめて頂けましたか?武田氏二十代の歴史、波乱万丈の歴史でしたね。

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