美女と兵法家 - 孫子の兵法の凄み -
孫子の兵法で有名な孫武の生涯は謎に包まれています。司馬遷の『史記』でも一つのエピソードを記すのみです。だだそのエピソードだけで孫子の兵法の真髄に触れた気がするのは私だけでしょうか?
有名なエピソードなので知っている方も多いとは思いますが、もしご存知じゃない方は
当ブログ『伍子胥 - 復讐に捧げた生涯 - 前・後編』をご参照ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/houzankai2006/20192242.html
http://blogs.yahoo.co.jp/houzankai2006/20192672.html
いつの時代かはっきりしませんが、だいたい紀元前510年前後の頃だと思ってください。中国春秋時代末期、豊富な鉱物資源で中原の覇権争いに介入しつつあった長江下流域を領土とした『呉』。その若き王闔廬(こうりょ)は宿敵『楚』を討つため、広く人材を求めていました。
楚から亡命して、王の信頼厚い伍子胥はある人物を推挙します。兵法を治め、王の覇業の助けになる人物と最大限の賛辞とともに、彼の著書十三篇を王に贈りました。
数日後、伍子胥が闔廬に著書を読んだか尋ねると、「まだ読んでいない」との返事でした。さすがに伍子胥も腹に据えかねて「王は人材を求めていらっしゃるのではなかったのですか?」と聞くと
「数日後に連れてまいれ。直接人物を確かめる」と答えました。
約束の日、伍子胥は風采の上がらぬ一人の男を伴いました。孫武と名乗った男がどうしても有能な人物とは見えなかった闔廬は、孫武という男をからかおうとします。
「先生の著書十三篇は読ませていただいた。なかなか興味深い本であった。しかし机上の空論と現実とは違うのではないか?」
すると、風采の上がらぬ男とは思えない返事が返ってきました。
「兵法とは戦いの真理でございます。いついかなる場合でも現実に対応できなければ役にたちません。」
この答えを小癪におもった王は
「ほう、いついかなる場合とな。それでは宮中の美女をつかって軍事訓練ができようか?」
横で見ていた伍子胥は、王の悪ふざけを苦々しく思いました。しかし、自信たっぷりに請け負う孫武の訓練振りにも興味をおぼえます。
「承知いたしました。」孫武は早速訓練を始めました。
宮中の美女180人は王の寵姫二人を隊長にして二隊に分けられます。庭に出て女達に矛を持たせた孫武は、太鼓を打ったら前進、左といったら左、右といったら右を向け、と取り決めを言い渡します。
そして、太鼓を打つと女達はどっと笑いました。何度繰り返しても同じです。美女達も遊びとしか思っていませんでしたので当然です。
台上で見ていた闔廬も、腹を抱えて笑いました。
しかし、孫武の顔色が一変します。
「取り決めが明白を欠き、軍律の説明不十分であれば自分の責任である。だが、もはや明白になっているのに、法に従わぬのは役目の者の罪である。」
二人の寵姫の首を打たせようとしました。これには闔廬も慌てます。
「将軍が兵を用いる腕前は分かった。余はこの二人がおらんと食事も喉に通らんのだ。処刑はまってくれぬか。」
しかし、孫武は
「それがし、命を受けて将となった以上は『君命も受けざるところあり』と申します。」と言って、二人の首を打たせました。
すると、美女達に緊張が走りもはや笑い出す者は一人も出ませんでした。新たに任命した隊長以下、一糸乱れぬ統率振りです。
孫武は使いをやって王に報告させます。
「兵士はすっかり訓練できました。どうか王は下に降りてご覧くださりませ」
しかし、寵姫二人を斬られた王は、意気消沈して
「ご苦労であった。将軍は宿舎に入って休息するがよい」
と、立ち去ろうとしました。
「王は言を好まれるばかりで実行はおできにならないのでございます。」孫武もまた立ち去ろうとしました。これを見て伍子胥は王に進言します。
「もうお分かりでしょう。彼を立ち去らせることは呉国にとって大きな損失ですぞ。王の覇業が成るか成らぬか、彼にかかっております。王にはどうかご賢察ください!」
闔廬も凡庸な男ではありません。伍子胥の言わんとすることが分かりました。非凡な才能を持つ孫武が、もし敵国『楚』に用いられたら、戦う前から勝負があったようなものです。
孫武を引き止めた王は、彼を客卿(外国出身の貴族)にし、将軍に任命しました。後に呉が楚を滅亡寸前に追い込んだのには孫武の活躍があったことは言うまでもありません。
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