ナンダ朝 - カースト制度への最初の抵抗者 -
古代インドにおいて、おそらくアーリア人の侵入によって成立したであろうカースト制度。祭祀階級であるバラモンを最高位に、戦士階級として実際の統治を司ったクシャトリア。一般民衆であるバイシャ、被征服民で奴隷階級に落とされたスードラ。これとは別にバリアと呼ばれるカースト以下の不可触賎民もいます。
これは、現在に至っても連綿と続きカーストが違うと結婚もできないそうです。誰が考えても理不尽な身分制度ですが、古代においてもこれを疑問に思い、反発した人がいました。だいたい紀元前4世紀頃といわれています。
スードラ出身(おそらく被征服民族ドラヴィダ人)のマハーパドマという風雲児がいました。当時北インドで有力な国であったシシューナガ朝マガダ国(仏典にでてくる釈尊の教団を保護したビンビサーラ王の王朝)を滅ぼし、すべてのクシャトリアを絶滅させたといわれます。
このあたりは記録が乏しく、どのような手段で王朝を滅ぼしたのかわかりません。ナンダ朝の成立でした。王自体がスードラ出身ですから、カースト制度は崩壊したも同然です。事実、この王朝は実力さえあれば出世できたらしく、後にナンダ朝を滅ぼすチャンドラグプタも若くして将軍に取り立てられたほどです。
北インドを力で押さえつけていたナンダ朝ですが、旧来の特権階級であるバラモンには忌避されたようです。事実、チャンドラグプタが王朝に反逆すると、バラモン出身のカウティリアが参謀についたくらいです。おそらくナンダ朝の崩壊がはやかったのはバラモン階級や、生き残ったクシャトリア階級がチャンドラグプタの反乱軍を支持したからでしょう。
初代マハーパドマは88年統治したという伝説がありますが、もとよりこれは誇張でしょう。ただ長期政権だったことは間違いありません。この人も記録がちゃんと残っていれば英雄として伝えられたでしょう。ナンダ朝は九代続きます。
文献資料が少なく実態がはっきりしないのですが、ギリシャ人の残した記録では、この王朝のもとでインドの度量衡が確立したそうです。ナンダ王は9億9千万枚の金貨を保有し莫大な富を持っていたと伝えられます。
ナンダ朝最後の王、ダナナンダは首都パータリプトラをチャンドラグプタの反乱軍に落とされ、一族もろとも処刑されました。こうしてカースト制度を無くすチャンスだった王朝は、旧勢力の反撃によって滅ぼされました。以後、現在に到るまでカースト制度は残りつづけます。
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