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2009年6月13日 (土)

ゲルニカ爆撃 …バスクの悲劇    - シリーズ スペイン内戦④ -

 ここに一枚の絵があります。『ゲルニカ』と名付けられたこの絵は有名なパブロ・ピカソによって描かれました。


 1937年4月26日、スペインバスク地方の小都市ゲルニカに、ドイツのコンドル軍団を主力とするフランコ空軍のハインケルHe111、ユンカースJu52爆撃機が次々と来襲します。

 早朝4時から3時間、200トンの爆弾を投下しました。しかも機銃掃射まで次々と加えます。彼らが去った後には、瓦礫と化した町と1600人の死者、900名近い負傷者が残されました。内戦のさなか、爆撃によって民間人がこれほど虐殺されたことはありませんでした。アメリカ、イギリス、フランスの報道機関はこれを、残虐なファシストの悪魔の所業と決め付け、轟々たる非難を浴びせます。

 ピカソは非戦闘員に対する無差別な虐殺に怒り、悲しみ、「ゲルニカ」の絵にそれを込めました。


 このゲルニカ爆撃はファシストの非人間性の象徴として今でも語り継がれています。またドイツのコンドル軍団が、急降下爆撃の効果を試すために攻撃する必要性のなかった田舎町で実験したのだという人もいます。


 しかし、はたしてそうだったのでしょうか?スペイン内戦を調べていくうちに真相は別のところにあったのではないかと私は考えはじめています。

 まずドイツ軍の実験説については、爆撃の主力に肝心の急降下爆撃機Ju87スツーカがいなかったことから私は否定します。

 実は、このゲルニカは人民戦線側の部隊こそいませんでしたが、通信施設、補給拠点として重要な町でした。軍事上どうしても叩いておかなければいけない町だったのです。だからといって非戦闘員を巻き込むことが許されるのか?と言われると反論はできないでしょうが。


 意外と知られていないことですが、人民戦線側もフランコ側もできるだけ捕虜を取らずに殺すようにしていましたし、反対勢力側の民衆の虐殺も日常茶飯事でした。近親憎悪的な関係がテロの応酬でマヒしていたのです。人民戦線側も表には出ていませんがかなりの民間人を虐殺したと言われています。

 フランコ軍を責めるなら、それと同じくらい人民戦線側も責めるのが公平な態度でしょう。


 しかも、ゲルニカのあるバスク地方はまた別の意味を持っていたのです。ピレネー山脈の西方から大西洋沿岸のスペイン北部にかけてのバスク地方は、バスク語を話すバスク人と呼ばれる人たちが居住しています。かってのナバル王国の故地であきらかに周辺の民族とは異質な人たちでした。昔から分離独立運動が盛んでスペインを悩まし続けていました。

 内戦が勃発すると、人民戦線政府の方が自治を認めてくれそうだという理由で味方に付きました。首都マドリード攻略に失敗したフランコ軍は人民戦線の飛び地になっているバスク地方を制圧することで後顧の憂いをなくそうと激しく攻撃を仕掛けてきたのでした。

 この危機にバスクは人民戦線政府に救援を要求します。当然助けに来てくれると思っていたバスク人はいつまでたってもその動きがないことに愕然としました。スペイン人たちは、異民族であるバスク人をはっきりと見捨てたのです。そうでなければ救援の動きさえないということの説明がつきません。

 
 バスク人たちの哀れさはどうでしょう?スペイン人たちの戦いに巻き込まれ、味方からも見捨てられ、しかも多くの非戦闘員まで殺されたんですから。フランコ軍の無差別爆撃も、根底には異民族だからという蔑視がなかったとはいえないでしょう。


 人民戦線軍は、失敗したとしても何が何でもバスクを助ける努力をすべきでした。T-26やBT-5を先頭に押し立てて空軍の支援を全面的に振り向けたらピレネー沿いにバルセロナからバスクに至る回廊ができていた可能性があります。フランコ軍がポルトガル国境地帯を聖域として兵站ルートとしていたのと同様ピレネーのフランス国境ルートが聖域となったかもしれなかったのです。


 さすれば、イタリア海軍の通商破壊で地中海ルートを邪魔されても兵站が枯渇することはなかったはずです。当時はフランスも人民戦線内閣でしたし。異民族蔑視に凝り固まり戦争の大局が見える者が一人もいなかったのでしょう。

 その後の内戦の流れを見ていくと、ピレネー回廊がもしあったら別の展開になっていたと思います。


 バスク人の独立の夢はこのとき潰えました。しかし今でも分離独立を夢見て彼らは活動しているのです。

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