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2009年6月13日 (土)

趙奢と趙括   父と子の相克   (後編)

 時は流れます。恵文王はすでになく名将趙奢が病を得て亡くなったころ趙国に再び危機がやってきました。

 地図を見てもらうと分かりますが、韓という国は黄河を挟んで南北に広がっています。もともと黄河の北、いわゆる上党郡が本拠地で黄河の南にあった鄭国を滅ぼして拡大したのが韓でした。

 しかし、中原の真ん中に位置する韓は連年秦の侵略を受けついに上党郡を秦に割譲することで和平を模索します。韓王は上党郡守に秦へ領土を明け渡すように命じました。

 ところが侵略者である秦に反感を持っていた郡守は、同じ思いを持っていた住民と図り秘かに使者を送って趙に上党を献上してしまいます。趙は恵文王の子、孝成王の時代でしたが秦と戦争になるという群臣の反対を押し切りこれを受けてしまいました。

 当然、烈火のごとく怒った秦は大軍を送って趙を攻めさせました。あわてた孝成王は名将廉頗を将として国中から兵を集めこれを防がせます。

 廉頗は陣を築き、堅守しました。名将廉頗の守る陣は容易に抜けず戦線は膠着します。秦の宰相范雎はこの状況を打開するため秘かに趙の都邯鄲に間者を送り込み、こう言わせます。
「廉頗はすっかり老いた。このまま対陣を続ければそのうち死ぬだろう。秦がもっとも恐れるのは名将趙奢の息子、趙括(ちょうかつ)が将になることである。」

 噂を聞いた孝成王は、秦軍より大軍を率いながら戦おうとしない廉頗に苛立っていたこともあり、渡りに船とばかり廉頗を解任し趙括を趙軍の総大将に任命しました。


 そのころ病の床にあった藺相如は、この話を聞き書面を送って孝成王を諌めます。
「趙括は兵法家として評判が高いですが、実戦の経験がありません。国家の危機です。あまりにも危険が大きすぎます。廉頗を代えてはなりません。」

 さらに趙括の母までが孝成王に訴えでました。
「我が夫趙奢は、兵法論で息子の括と議論して言い負かされましたが決して括を認めませんでした。理論と実戦が違う事を知っていたからです。また夫は将軍に任命された時、自分の財産を分け与え兵と同じものを食べ兵と労苦をともにしましたが、息子は将軍に任命されるとせっせと良い土地を買い集め財産を独り占めしようとしています。
 わが夫は、遺言で息子が将軍に任命されても絶対に受けてはならぬと言い残しました。王様、なにとぞ今回の決定を取り消してくださいませ」

 老いた母の必死の嘆願も王には届きませんでした。
「もう決まった事じゃ。何も言うな」
「では趙括が敗北しても、一族に罪が及ばないようにしてくださいませ。」という母の願いだけが受け入れられました。


 趙軍の大将が趙括に代わったことを知った秦は、自軍の将を名将白起に交代させ、万全の体勢でこれを待ち受けます。

 一方、趙括は総攻撃の準備を始めていました。趙はこの時に備えて全土から兵を総動員し40万以上も集めていました。秦軍はおそらくその半分もいなかったでしょう。

 白起は弱兵を前に出し、趙軍の突撃を誘います。大軍に兵法なし、と言います。趙括の読みでは数で秦軍を押し潰せると考えたのでしょう。陣を出た趙軍は軽騎兵を先頭にして逃げる秦軍を追撃します。


 しかしこれこそ白起の罠でした。突出した趙軍はいつの間にか伏兵に退路を断たれ長平の地で秦軍の重包囲下に置かれます。糧道を断たれた趙括は、このまま飢え死にするよりはと、一か八かの突撃で秦軍の包囲を破ろうとしました。

 これを待ち構えていた秦軍は、遠巻きにして弓や弩で攻撃します。全身針鼠のようになって趙括は戦死しました。もはや抵抗する気力もない趙軍40万は秦軍に降伏します。

 白起は、大軍を養う兵糧もなく反乱の恐れのある趙軍をことごとく生き埋めにして殺しました。この時の趙の死者は非戦闘員も含め45万にも及んだといいます。今でも長平の古戦場跡ではおびただしい人骨がでてくるそうです。


 趙はこの戦いで成年男子をことごとく失ったと言われるほどの損害を受けました。事実上この戦いによって秦の覇権が確立します。



 趙の栄光を担った父趙奢。趙滅亡の原因を作った不肖の息子趙括。あまりにも対照的な生涯は我々に人生と国家の命運というものを考えさせてくれます。

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