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2009年6月13日 (土)

謎の民族「ヒクソス」と出エジプト記

 皆さんは旧約聖書出エジプト記をもとにした映画「十戒」をご覧になった事はありますか?チャールトン・へストンがモーセを演じて、エジプト王の圧政から逃れ紅海を割ってユダヤ人を導く奇跡を示したクライマックスはあまりにも有名ですよね。

 エジプトを脱出したユダヤ人はすくなくとも数万、あるいは数十万もいたような感じでしたが、私鳳山の悪い癖は、なぜそんな大量のユダヤ人がエジプトにいたのかという事に疑問を感じたのです。

 モーセのようにエジプト王の養子になって宰相になった者などごく少数で、大部分は奴隷のような境遇だったように見受けられました。当時のエジプトはたしかに大国で近隣諸国を圧する勢いでしたが、それにしても異民族数十万とは多すぎます。戦争で征服し捕虜にしたにしてもそんなに増えますか?あんまり多すぎると、こんどは彼等が蜂起して王権を奪われる可能性もでてくるのではないでしょうか?


 そこで私はヒクソスという異民族の存在を考えました。

『ヒクソスはエジプト第2中間期と呼ばれる時代に古代エジプトに登場した人々。彼らは一般にシリア・パレスチナ地方に起源を持つ雑多な人々の集団であったと考えられている。ヒクソスと言う呼称は「異国の支配者達」を意味する古代エジプト語、「ヘカ・カスウト」のギリシア語形に由来する。ヘカ・カスウトはしばしば「羊飼いの王達」とも訳されていたが、現在では誤訳であるとされている。

トリノ王名表によれば6人のヒクソス王が108年間在位したと伝えられている。マネトの記録によれば第15王朝の王も6人とされており、一般に「ヒクソス」、「ヒクソス政権」などと表現した場合、第15王朝を指す。また、第15王朝を大ヒクソス、第16王朝を小ヒクソスと呼ぶ場合もある。』(ウィキペディアより)


 ヒクソスは鉄器と戦車を使ってエジプト中王国を滅ぼし一時エジプトを支配した異民族です。ナイル上流のテーべの豪族が立ち上がってヒクソス支配を撃ち破りこれを駆逐して新王国を成立させるのですが、
出エジプト記の時代は新王国(紀元前1570年頃 - 紀元前1070年頃)の出来事だとされます。

 ヒクソスの出自は謎とされています。一説ではフルリ人とも言われますが、大雑把に見てシリア・パレスチナに住んでいた西セム系の人々の集団だったという説が有力になっています。


 そこで出エジプトの話。ここから先は暴論でキリスト教やユダヤ教関係者が怒り狂うかもしれないんですが、まあこういう見方もあるということで大目に見てくださいませ。

 西セム系のなかには当然ユダヤ人も入ります。むしろヒクソスを形成する有力な民族ではなかったかと推測します。だから大量にエジプトに流入した。しかし、異民族支配は長く続かず、エジプトの実権はエジプト人に取り戻されてしまいます。残されたユダヤ人達はどうなったか?どこに行ったか?そりゃ一部は戦車に乗って一目散にパレスチナに逃れたでしょう。
 でもかっての満蒙開拓団のように、逃げる手段を持たなかった人々はエジプトに残らざるを得なかったと思います。支配者と被支配者の関係が逆転してしまった。エジプト人は、かっての支配の恨みもありますからことのほか辛くあったのではないですか?

 ということは、エジプトの圧政から逃れた出エジプトも、もとはといえば征服者としてエジプトに来たユダヤ人が悪い。自業自得ではないかと。歴史学者もあからさまに言わないだけで、うすうす気付いているのではと邪推したくなります(笑)。



 わたしは別にユダヤ人が嫌いなわけではないですよ。むしろ周囲を敵に囲まれても国威を示し、独立を保っているイスラエル国家に敬意さえ抱いてるくらいなんですから。ただ、こう考えると合理的だと思うだけでして。許して~!(笑)

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