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2009年10月24日 (土)

商業国家カルタゴの興亡   (完結編)

 カルタゴに科せられた巨額の戦争賠償金2万タラント。現代の貨幣換算でいくらになるでしょうか?イメージ的には200兆円くらいに思えます。もちろん一括で払えるような金額ではありませんでした。

 カルタゴは、この天文学的な賠償金を50年の分割払いとすることでローマに許しを請いました。


 海外領土をすべて失い、現在のチュニジアにあたるアフリカの本土しか残らなかったカルタゴは、内陸を灌漑し豊かな農地として蘇らせます。本来の商人としての血でしょうか、お家芸とも言える交易で富を築き賠償は順調に支払われました。


 紀元前191年には、残りの賠償金を一括して払いたいとローマに申し出るほどでした。しかし逆にこれがローマの警戒を生むことになります。あれだけ痛めつけて二度と立ち上がることはないと安心していたカルタゴが奇跡の復興を遂げたからです。


 ローマは秘かにカルタゴを滅ぼすべく手を打ち始めます。カルタゴの西隣りのヌミディアでは、カルタゴに協力的だった前族長を追い、ローマに協力したマニシッサが王となっていました。

 マニシッサはローマの本心を悟り、それを自己の勢力拡大に利用すべくカルタゴへの攻撃を開始します。カルタゴは勝手に戦争することをローマから禁じられていましたから、調停をローマに頼みます。


 しかし、カルタゴを滅ぼす本心があるローマは、常にマニシッサに有利な裁定しか下しませんでした。


 マニシッサはローマの態度を良い事に、カルタゴ領をどんどん蚕食していきました。


 カルタゴ政府では、「ローマの裁定はあてにならないから、自らの手で侵略者と戦おう」という抗戦派と「あくまでローマに従うべし」という穏健派が激しく対立します。しかし、ヌミディア領がカルタゴ市に近づくにつれて抗戦派の力が強まりました。


 抗戦派とて、ローマの許可を得ず勝手に戦争を始める意味は十分わかっていました。ローマはそれこそ待ってましたとばかりカルタゴ懲罰の軍を派遣してくるに決まっています。しかし、座して死を選ぶよりは戦って死ぬ方がましだという悲壮な覚悟を決めていたのです。それは一般のカルタゴ市民の思いでもありました。




 紀元前149年、カルタゴはついに挙兵します。もちろんローマに勝てるなどと思っているカルタゴ市民は一人もいませんでした。ある程度の戦果をあげ講和に持ち込もうという甘い考えもありませんでした。全員玉砕、これこそがカルタゴ全市民の覚悟だったのです。


 武器の製造も禁じられていたカルタゴでしたが、挙兵後カルタゴ市内で市民総出で武器の製造にあたります。日産で盾百、剣三百、投槍五百、投石用カタパルト数台が製造されたと言います。


 死を覚悟しての戦いでしたから、カルタゴ市を要塞化してローマ軍を待ちました。


 一方、ローマは総司令官に第2次ポエニ戦争の英雄、大スキピオ・アフリカヌスの養子、アエミリウス・スキピオ(小スキピオ)を任命しました。兵力は不明ですが、おそらく十万近い大軍だったと思います。

 他方、友人だと思っていたローマにカルタゴ征服の野望を土壇場で邪魔されたマニシッサは、大きく落胆しこの世を去りました。81歳の高齢だったと伝えられます。

 ローマは、マニシッサのような強力な土着勢力が残るのを好まず、彼の領土は三人の息子に分割されました。こうして後顧の憂いを絶った小スキピオ率いるローマ軍は、カルタゴ市を包囲し、いちばん外側の巨大な三重の城壁に取り付きます。


 死を覚悟したカルタゴ軍は頑強に抵抗しローマの第1次攻撃を跳ね返します。力攻めでは損害が大きくなるばかりだと悟った小スキピオは包囲に切り替え長期戦の構えを取りました。


 カルタゴ側もこの日の来るに備え食料を運びこんでいます。包囲は3年の長きにわたって続けられました。


 カルタゴ軍の一時の熱狂は絶望に変わっていました。食料も底をつきあとは死ぬばかりでした。カルタゴ軍の抵抗が日増しに弱くなるのを見届けた小スキピオは総攻撃の命令を下します。


 最終攻撃は城壁と港の両方から行われました。カルタゴ兵は力尽き次々と討たれていきました。ローマ軍は港と市街地をほぼ制圧します。しかし、生き残ったカルタゴ市民は高台にあるビュルサの丘の神殿に籠り絶望的な抵抗を始めました。


 神殿包囲から7日目、カルタゴの軍使がローマ陣営を訪れ生き残った市民の命乞いをします。小スキピオがこれを許すと女子供を中心とした5万もの餓死寸前の市民がふらふらと迷い出てきました。


 足手まといの非戦闘員をローマ軍に委ね、残ったまだ戦える男たちは最後の戦いを開始します。ローマ軍はこれを攻撃し、全員が玉砕しました。そのとき神殿に火が放たれます。火災は瓦礫と化したカルタゴ市街全域に広がり、鎮火するのに十日以上かかったと伝えられます。


 小スキピオは、炎上するカルタゴ市を眺めながら涙を浮かべたそうです。側近が不思議に思って尋ねると
「いつかローマにもこのような滅びの日が来るかと思えば、涙を流さずにはいられないのだ」と答えたと伝えられています。


 
 生き残った5万のカルタゴ市民はすべて奴隷として売り払われました。ローマ軍は市街を完全に破壊し、二度と蘇らないよう市街地と周辺の農地に塩を播いたと言われます。


 以後、この地はローマの属州アフリカとして新たな時代を迎えます。カルタゴ市は滅亡しましたが、周辺に住むフェニキア系市民は残りました。5世紀ごろ聖アウグスティヌスはこの地にポエニ語が方言としてまだ残っていることを確認しています。



 建国から七百年、一時は西地中海を囲む大帝国を築いたカルタゴ。しかしその滅亡はあっけないものでした。商人的気質によって勢力を拡大し、また商人的気質によって領土を失いました。しかし、その最後に輝きを見せたことはせめてもの慰めでしょう。


 先の大戦の敗北によって牙を抜かれ戦う事を忘れた日本。利益だけを優先し国家としての誇りをどこかに置き忘れた民族はどのような運命を辿るのでしょうか?



 カルタゴのように滅亡寸前までそれに気づかなければ手遅れです。カルタゴの興亡の歴史は日本にとっても良い教訓を与えてくれるのだと思います。

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