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2009年10月24日 (土)

聖都イドリースと迷宮都市フェズ

 私が生涯のうちで行ってみたい所。インカ帝国の失われた空中都市マチュピチュのことは以前記事にしました。それと同じくらい行ってみたい所の一つが、モロッコにある古都フェズです。

 迷宮都市として世界遺産にも登録されたフェズですが、歴史あるこの町と同じくらいモロッコという国そのものにも魅かれるのです。


 モロッコは、マグレブ地方(アフリカ大陸北部のイスラム化した地域。広義にはエジプトからモロッコまでを含む)の最西端に位置し、剽悍なベルベルの遊牧民が歴史を形作ってきました。

 ある時はイベリア半島や遠くサハラを越えて黄金都市トンブクトゥウまでも支配下に置いたダイナミックな歴史を持ち、現在のモロッコ王家(アラウィー朝)は1660年以来、紆余曲折はありながら現代まで続いています。


 
 その中で、フェズはある時は王朝の首都になり、またある時は反乱軍の根拠地になりながら悠久の歴史を紡いできました。モロッコと言うとカサブランカが有名ですが、歴史の生き証人という意味ではフェズには遠く及びません。私は生涯一度でも良いから訪れたいと心に誓っています。



 ところでフェズですが、その歴史はある一つの王朝と不可分の関係にあります。それが今回紹介するイドリース朝と、そのゆかりの町、聖都ムーラーイ・イドリースです。



 イドリースが人の名前らしいという事は皆さんも想像できるでしょう。王朝の創始者イドリース・イブン・アブドゥッラーは亡命者でした。それも単なる人物ではなく正統カリフ、アリーとファーテマの血を引く高貴な生まれです。


 彼がなぜ亡命することになったかと言うと、アッバース朝内の内紛が原因でした。ここで歴史通の読者は疑問に思われるでしょう。アリーの子孫ならイスラム教シーア派、そしてアッバース朝はシーア派の王朝、優遇されることはあっても亡命せざるを得ない状況になるのはおかしいではないかと?


 しかし、同じシーア派と言ってもカリフ位を独占したいアッバース家にとってイドリースの存在は邪魔以外の何者でもありませんでした。


 命からがら辺境の地西マグレブに逃げてきたイドリースは、現地ベルベル人首長たちに推戴され788年イドリース朝を開きます。



 実はその30年前にも同じような事件がありました。アッバース朝成立のとき、前王朝ウマイヤ朝への一族皆殺しから九死に一生を得てこの地に逃げてきた王子がいたのです。その名はアブドル・ラフマーン。当ブログ世界史書庫第1回でも紹介した後ウマイヤ朝の創始者です。


 この時もベルベル人たちは悲運の王子を温かく迎え入れ、イベリア半島に送り出しています。そして今回も…。砂漠に生きる民、ベルベル人たちの困窮者が頼ってきたらこれを迎え入れ助けるという温かさを感じさせてくれるエピソードです。


 またモロッコの地は、異端者にも寛容な社会だったように思います。アブドル・ラフマーンは正統なスンニ派の後継者、そしてイドリースもまた正統なシーア派の後継者でした。宗派の違いに関係なくベルベル人たちは迎え入れたのです。モロッコの地は多くの異端を生む土地柄ではありました。

 イスラム教が伝わってきた後も、土着のベルベル人の信仰と融合して独自のイスラム社会を形成していたのです。その環境が民族としての寛容さを生みだしたのでしょう。



 イドリース1世は、王朝を開いた後もその権力基盤は弱いものでした。各地の首長に推戴されたため、その勢力を封建領主として認め、そのバランスの上に統治するという形態でした。



 それでも曲がりなりにも西マグレブ(現モロッコ)の地を一つにまとめ上げ王国としたのは大きな功績でしょう。彼は晩年、新王国の首都としてふさわしい地を定め、都市建設を計画しました。しかし志半ばで倒れ、息子のイドリース2世がそれを引き継ぎます。このようにして建設されたのがフェズの町でした。一方イドリース1世はそれまでの首都だった地に立派な廟を造られ葬られます。この町がムーラーイ・イドリース聖市です。現代でもイドリースは正統カリフの後継者として、聖者として国民の信仰を集めているそうです。


 フェズ、この地を選定したイドリース1世はさすが慧眼だったと思います。フェズは古代ローマから続くアフリカ大陸北岸を東西に貫く街道上に位置します。エジプトから発しカサブランカまで続く道です。

 さらに北、ジブラルタル海峡に面したタンジールから南下し遠くサハラ砂漠を越えて黄金都市トンブクトゥウに至る黄金街道との交点に当たるのです。


 まさにモロッコの心臓部と言っても良い場所でした。息子イドリース2世はフェズを首都にふさわしい都市として完成させました。



 イドリース朝は、各地の君侯が力をつけ始め、相対的に王権が低下したことから衰退し974年滅びます。しかしフェズはその重要性から歴代王朝の首都になるか、あるいは重要な都市として滅びることなく現在に至っています。



 幾度かの破壊もありましたが、そのたびに奇跡的に蘇り、さらにイベリア半島やチュニジアの動乱から逃れてきた亡命者(技術者が多い)も受け入れたため独特の文化が育ちました。スペイン・アンダルシア地方の優雅な建築文化とイスラム伝統の精密な抽象画、幾何学模様が融合し独特の美を形成しているそうです。


 その歴史のように迷宮都市として複雑に入りこんでいるフェズ旧市街は、1981年世界遺産になりました。一生に一度は訪れたい町です。悠久の歴史に思いを馳せるために…。

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