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2009年11月20日 (金)

弱者の勝利    - カペー朝年代記 -

 皆さんは世界史でフランスで最初の王朝カペー朝というのを覚えていますか?学校教育でも少しは教えたと思いますが、成立過程からしてその王権は微弱なものでした。


 987年、西フランク王国のカロリング家が断絶したために、宮宰の家系でカロリング家以外で何代か西フランク王を出したこともあるフランス公・パリ伯のユーグ・カペーが諸侯の推挙で王位に就いたのがカペー朝の始まりでした。


 カペー家はパリ周辺を治めているだけの弱小勢力で、血統の高貴さ以外は何のとりえもなくユーグ・カペーその人も凡庸でした。勢力の大きさならイングランドを征服したノルマンディー公家、婚姻によりイングランド王になったプランタジュネ家(英語読みプランタジネット家)のアンジュー伯家、南仏一帯に広大な所領をもつアキテーヌ公家などのほうがはるかに巨大な勢力でした。

 
 なぜユーグ・カペーが王に選ばれたかと言うと、こういう大諸侯の一人が王になると揉めるからです。弱小勢力のカペー家を王にしておけば互いに牽制してかえって安定するだろうという諸侯たちの読みもあり、またそのような弱い王権ならいつでも自分たちの意のままになるだろうという思惑もありました。


 そのためにカペー朝の滑り出しは困難を極めました。酷いケースでは、新王の即位の式典にも諸侯が馬鹿にして出席しないということも頻繁にありました。もちろん王の言うことなど聞く者はいません。自分たちの都合で勝手に戦争し、勝手に講和しました。


 王が諸侯に言うことをきかせるには軍事力しかないんですが、その肝心なものがなきに等しいのですからどうしようもありません。にもかかわらずカペー朝が1328年まで340年も続いたのは歴代国王の努力の賜物でした。


 力がないのなら権威と気付いたのはどの王の時代でしょうか?王たちはローマカトリック勢力と結びつくことによってそれをなしました。少なくとも5代ルイ6世(在位1108年 - 1137年)のころにはそれまでの教皇との対立を解消し和解に努めています。

 さらに歴代カペー朝の王たちは、有力諸侯との婚姻政策で領土を広げます。それも跡取りが娘一人で結婚すれば持参金として広大な領土が手にいるという美味しいところとばかり…(苦笑)。


 7代フィリップ2世(尊厳王、在位1180年 - 1223年)が亡くなるころには、王家の直轄領も増えフランスでも有力な(それでも一番じゃありませんが…)所領をもつようになりました。


 さらに教皇との結びつきを上手く利用し、南仏征服にはアルビジョワ十字軍を最大限に利用します。キリスト教の異端勢力カタリ派を討伐するという大義名分で、ヨーロッパ中から集まった十字軍の力を利用して南仏一帯を手に入れたのです。いわば他人の褌で相撲を取ったわけです。


 ローマ教皇の異端征伐とフランス王の領土拡大の利害が一致したのがアルビジョワ十字軍でした。


 このようにして勢力を拡大したカペー朝は、11代フィリップ4世(端麗王 在位1285年 - 1314年) の時代になると諸侯を完全に抑え、教皇と対立したばかりかアビニョンに捕囚するという事件まで起こします。

 カノッサの屈辱でローマ教皇に屈服した神聖ローマ皇帝ハインリッヒ4世とは大違いでした。それほど絶大な権力をもっていた証明でもあります。実際、このような暴挙をしたあともフリップ4世の権力は微動だにしませんでした。


 が、やはり罰があたったのでしょう。以後は短命な王が続き断絶し1328年ヴァロワ伯家にとって代わられます。これがヴァロワ朝です。しかし、ヴァロワ家もカペー朝10代フィリップ3世の子シャルルが領地を貰って独立した家でしたから、いわば一族、分家です。シャルルの子フィリップ6世がヴァロワ朝初代国王となりました。


 ちなみにその後のブルボン朝もカペー朝9代ルイ9世の子孫ですから近代にいたるまでカペー家の一族が国王として君臨したわけです。




 こうして見てみるとカペー家というのは不思議な一族です。通常はその国で最大の実力者が王朝の創始者になるものですが、この家は弱小でした。しかしかえってそのために強かでしぶとくなっていったのでしょう。生き残りにかける執念が他の王家とは違っていたのかもしれません。



 このようなユニークな一族は、おそらく世界史上あまり例がないと思います。

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