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2009年11月20日 (金)

アレクサンドロス戦記⑤完結編   - ヒュダスペス河の戦い そして大王の死 -

 バクトリア地方(アフガン北部からトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンにまたがる地域)のアケメネス朝残党を掃討したアレクサンドロスは、念願のインド遠征へ向けカイバー峠を越えインド西北部、パンジャブ地方へ雪崩れ込みます。



 ちなみにパンジャブというのはペルシャ語で五つの河という意味で、インダス河の支流五本の川が流れる豊かな地方でした。当然王権も早くから発達し現地の王ポロスは10万の兵を集める実力があると言われていました。


 初めはポロスを懐柔しようとしたアレクサンドロスですが、誰しも侵略者に心を許す者はいません。ポロスは歩兵3万、騎兵4千、戦車3百、戦象2百をもってアレクサンドロスの前に立ちふさがりました。

 一方マケドニア軍は各地を平定するため兵を割き、このときは歩兵1万5千、騎兵5千に減っていました。


 両軍はインダスの支流のひとつ、ヒュダスペス河を挟んで対陣します。ポロス軍はマケドニア軍が渡河しようとするとおびただしい矢を放って妨害しました。敵前渡河は難しいと悟ったアレクサンドロスは、騎兵の機動力を使って大きく迂回、夜陰を衝いて渡河します。敵の前に残した部隊が欺瞞行動をとったため、ポロス軍に気付かれず成功しました。


 ポロス軍は、マケドニア軍の一部が渡河したことに気付き、王の息子を指揮官とする騎兵部隊を差し向けますが、百戦錬磨のマケドニア軍に敵うはずもなく苦もなく撃破されます。


 ここでポロスは自慢の戦象部隊に突撃を命じますが、マケドニア軍はすでに何度か象部隊と戦い、慣れていました。接近せず遠くから矢を射かけて攻撃します。象部隊は、矢傷を負って怒り狂いあたりかまわず突進します。象が正気を失い暴走すると敵味方に関係なく踏みつぶしますが、この場合主に被害を受けたのは近くにいたポロス軍の方でした。


 戦象の暴走で大混乱に陥ったポロス軍は、その隙を衝いて渡河したマケドニア軍本隊によって撃破され、潰走しました。世に言うヒュダスペス河の戦いです。(紀元前326年)



 こうしてインドへの道が開けたのですが、ここで困った事態が起こりました。マケドニア軍の兵士がこれ以上の前進を拒否したのです。彼らにとっては故国を出て長いもので10年近く、短いものでも数年経っていました。いつ命を落とすかも知れない異郷の地で、これ以上戦うことにうんざりしていたのです。ペルシャを滅ぼしたら終わると思っていたところがインドまで行くというんですから怒るのも理解できます。アレクサンドロスがなだめすかしても駄目でした。


 仕方なくアレクサンドロスは帰途に付きました。ただ腹いせに今まで通ってきた道ではなく、一旦インダス河下流に出て海岸沿いに帰還するコースを採りました。ところがこの道は整備されておらず現地人の襲撃にも苦しめられます。一時はアレクサンドロスが死を覚悟するほどの苦境もあり、ほうほうの体で帝国の首都に定められたバビロンに辿り着きます。



 おそらくこの時大王に対する人心は離れていたと思います。アレクサンドロスは創業は得意でも守成は不得意だったんじゃないかと私は考えています。パルメニオンはじめ多くのマケドニア人を処刑し自分に対する批判を封じていましたし、マケドニア人をないがしろにしてペルシャ人を取り立てるなど彼らの感情を逆なでする振る舞いが多くありました。


 もちろん広大な領土を統治するなら、現地人も採用し味方につけることは必要でしょう。しかしどうも統治のためにどんな行動をしたか全く見えてこないのです。そればかりかアラビア半島遠征など外征計画ばかり練っていました。


 これでは帝国が長く続くはずはありません。大王の死後すぐ瓦解したことでもそれは証明されます。



 そんなマケドニア軍中の不満を敏感に感じ取っていたのか、アレクサンドロスはバビロンに落ち着くと酒に溺れる日々が続きます。そして深酒がたたったのか熱病を発症し死去しました。33歳の生涯でした。


 死の床で側近に後継者のことを尋ねられたアレクサンドロスは、有名な「最も強き者へ…」という言葉を残します。これは自分の子供がまだ幼少で到底帝国を維持することができなかったという理由もあるのでしょう。その意味ではリアリストと言えました。


 しかし、自分の家族の安全を保つ策を何ら講じなかったためディアドコイ(後継者)戦争の中で妻子ことごとくが殺されてしまいます。アレクサンドロスの血脈は完全に途絶えたのです。





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 アレクサンドロスの生涯は戦いに明け暮れる日々でした。彼にとって戦って勝つことが生き甲斐であり、その後領土をどう保つかは頭の中にはなかったのでしょう。大英雄ではあっても大政治家ではなかったと言えます。ただ不世出の戦術家であり傑物であったことは間違いありません。

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