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2010年2月18日 (木)

ミニエー銃 - 長州を救った銃 -

 幕末の長州藩、あくまでも攘夷を貫き禁門の変で敗退、慶応二年(1866年)には幕府の大軍に包囲され絶体絶命の危機にありました。石州口、芸州口、大島口、小倉口すべてに万を越える幕府軍が布陣していました。いわゆる「第2次長州征伐」です。
 徹底抗戦を選択した長州藩には、奇兵隊をはじめとする諸隊と、薩長同盟の密約により購入した新式の銃がありました。それがこれから紹介するミニエー銃です。 

 幕末期、洋式銃といえばゲベール銃でした。フリントロック式(火打石)で火縄よりは進化していましたが、銃身に溝が切ってない前装式滑腔銃で欧州では旧式になっていました。
 長州藩は、坂本竜馬の紹介で、長崎の武器商人グラバーを訪ねます。そこで購入したのがミニエー銃でした。これは銃身に溝を切ってあり(ライフルと言う)、椎実型の弾丸が発射されると回転が加わり射程と命中精度が飛躍的に向上したものでした。小説『竜馬がゆく』では後装式と紹介されていますが、実際はまだ前装式でした。のちにこのミニエー式エンフィールド銃を後装式に改造したスナイドル銃は、戊辰戦争後期の主力銃となったほどです。ゲベール銃一発撃つ間にミニエー銃は10発撃てたといいます。
 
 長州藩は、このミニエー銃を4300挺、旧式のゲベールも数を揃えるため3000挺購入したそうです。新式銃は各戦線で猛威を振るいました。例えば芸州口では、ほら貝を吹きながら戦国時代そのままに進軍してきた彦根藩兵に対し、山野に伏して待ち伏せした長州兵がミニエー銃を撃ちまくり撃退しました。数で劣る(10分の一以下)長州軍の勝因は、士気の高さとミニエー銃に代表される火力の優越でした。

 ところでこの戦いに参加した幕府歩兵隊は、ナポレオン三世から贈られた、最新式の後装式ライフル銃であるシャスポー銃2000挺を装備していたはずです。なぜ先頭にたって長州に攻め込まなかったのでしょうか?あっさり勝っていたはずですが…。温存していたとしたら馬鹿げています。この長州征伐の失敗で幕府の威信は地に落ち、滅亡にむかうのですから。

 士気の点で、長州軍と寄せ集めの幕府軍に天と地ほどの差があったのかもしれません。

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