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2010年3月29日 (月)

私が一度は行ってみたいところ - 宮崎県椎葉の里 -

 1185年壇ノ浦の合戦で滅びた平家。その残党は日本各地の山奥に逃れたと伝えられます。猜疑心のつよい源頼朝は、鎮西総奉行天野遠景に命じて平家残党を追捕させました。
 実際上は、平家追捕を隠れ蓑にした西国へ対する鎌倉幕府支配権確立が主目的ではありましたが、もちろん平家残党狩りも続けられました。
 そのなかに病弱の兄那須与一に代わって出陣していた那須大八郎がいました。日向国五ヶ瀬川上流まできて鎌倉勢は引き返そうとします。しかし、物見の報告で遥か南の山々に炊煙が上がるのを発見した大八郎は、功名心に駆られ一人残りました。
 
 人跡未踏の道なき道を、九州脊梁山脈深く分け入った那須勢は、ついに貧しい山里を発見します。平家の残党達が開いた隠れ里でした。
 発見された以上は平家の人々も覚悟しました。しかしもはや合戦する力はありません。村の男達は協議の末、「自分達が全員自害するから女子供は見逃してくれ」と大八郎に直談判します。

 大八郎自身も、もはや平家が反抗する力もなく貧しくも慎ましい生活をしていることに心打たれました。それに対し功名心に駆られ、このような弱き人々を討とうとした自分が恥ずかしくなっていきます。
 いつしか、那須勢は村の人々に混じって畑仕事などを手伝うようになりました。そして、そのなかで大八郎は一人の女性と出会います。
 村の指導者の娘で、小松大臣重盛の子孫と伝えられる鶴富姫でした。二人は愛しあい、姫は子供を身ごもりました。そして大八郎自身もこのまま村に残ろうと思い始めていた矢先でした。

 いつまでも帰ってこない大八郎を不審に思った鎌倉方は、八方手を尽くしてついに隠れ里を発見しました。頼朝の怒りは凄まじく、大八郎が帰還しなければ、那須一族の所領を取り上げると言い放ちました。
 豊後の守護、大友能直は話の分かる人物でした。
「ともかく鎌倉に参上して申し開きをすれば、所領のことは許されよう。隠れ里のことも悪いようにはしない。」
との情誼溢れる書状を受け取った大八郎は、泣く泣く山を下りることにしました。自分のために歴史ある那須一族を滅ぼすわけにはいかなかったのです。

 別れの日、大八郎は妻、鶴富姫に言います。
「生まれてくる子供が男であったら、那須の里に送れ。女の子であったらここで育ててほしい。」
しかし、鶴富姫は生まれてきた子供を手放しませんでした。男であったが、世俗にまみれさせるのに忍びないと手元に置いたとも、女の子であったためだったとも言われています。その子孫は代々この一帯を支配し戦国時代まで続いたそうです。

 そのような伝説のある土地、宮崎県椎葉の里。文豪吉川英治も「新平家物語」で、この話を紹介しています。いまでは舗装道路も繋がり、車で行けるそうです。浪漫のある土地、私も一度は訪れたいと思っています。

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