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2010年3月29日 (月)

大江広元  - 鎌倉幕府を確立した男 -

大江 広元(おおえ の ひろもと、久安4年(1148年) - 嘉禄元年6月10日(1225年7月16日))は、最初は朝廷に仕える下級貴族のいわゆる官人であったが、関東に下り鎌倉幕府に仕え、政所初代別当(長官)となった。備後守護長井氏の始祖であり、江戸時代栄えた酒井氏の先祖でもあるといわれる。また毛利氏も末流にあたる。官位は正四位下行陸奥守。

広元は藤原光能の息子であると言われている。母の再婚相手である中原広季のもとで養育されたため、中原広元(なかはら の ひろもと)と呼ばれることもある。後に学問の大家であると言われた大江維光の養子となって、そのもとで太政官の書記を務めたという。広元はこのような経緯から知恵者として育っていったのである。

広元には兄の中原親能がいた。親能は源頼朝と親しく、その縁から元暦元年(1184年)に広元も召しだされて頼朝の家臣となり、政所の前身である公文所別当として辣腕を振るった。文治元年(1185年)に頼朝が守護・地頭を設置したのも、全ては広元の献策によるものであると言われている。

正治元年(1199年)の頼朝の死後は、北条義時や北条政子と協調して幕政に参与する。承久の乱のときも、長男 大江親広が官軍側につき、親子相克するも、広元はあくまで幕府軍の側に立って朝廷との一戦に慎重な御家人を鼓舞、主戦論を唱えた北条政子に協調して幕府軍を勝利に導いた影の功労者のひとりとなった。

                         - フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より -

 一文字三星、この紋所どこかで見たことはないですか?そう戦国時代、中国地方に勢力を張った毛利氏の紋所です。毛利氏は、大江広元の子孫とされます。

 大江広元と聞いて、ピンと来る人はかなりの歴史通です。一般にはあまり知られていないと思います。しかし、彼の果たした役割は非常に大きいものでした。

 代々学者の家柄だった大江家は中央での出世の道は閉ざされていました。兄の縁で鎌倉の源頼朝に仕えるようになると、彼はその側近として謀才を十二分に発揮します。

 義経追討を名目にして、朝廷を脅し全国に守護・地頭を設けさせたのは広元の献策でした。また都の情報を分析し頼朝に報告するのも彼の役目でした。有職故実に通じ、都の情勢にも明るい広元は、頼朝にとってなくてはならない存在となっていました。

 鎌倉幕府が、遠国にありながら的確な判断で対後白河法皇の外交戦に勝利し続けたのは鎌倉に大江広元がいたからだと言っても過言ではありません。当時、都には人材がいました。広元や実務に明るい三善康信らです。それらが皆鎌倉に去ってしまったことは、朝廷の没落を象徴していました。

 頼朝が天下総追捕使(実質上の天下人)に任ぜられ、公文所を改組して政所を置いたときには、広元は初代別当(長官)になります。さらに明法博士、左衛門大尉(だいじょう)に任ぜられ、検非違使を兼ねるようになりました。

 時の関白、九条兼実は「大江家は代々儒学の家だ。それが左衛門大尉、検非違使を兼ねるとは秩序の紊乱ではないか」と怒りますが、それが時勢の流れでした。頼朝の絶大な信頼のもと、幕府内の実力者になっていた大江広元は朝廷でさえも一目置かなければならないほどの存在になっていたのです。

 頼朝の死後も、広元は鎌倉幕府の確立に尽力しました。北条氏と結び、幕府のためにならぬと判断すれば、たとえ頼朝の子供達であれ容赦しませんでした。

 朝廷側の最後の反撃である承久の変でも、後鳥羽上皇に弓引くことに躊躇する鎌倉御家人たちに対して、「断固戦うべし」と主張したのも広元でした。この言葉に勇気づけられた北条政子の演説によって御家人達が動かされ、勝利をあげることができました。

 広元は、朝廷に長く仕えていたため、(上皇も含め)貴族達が言葉では勇ましい事を言っても、からっきし勇気がなく、いざとなったら逃げるという習性を知り尽くしていたのでしょう。

 大江広元は1225年、77歳の長寿を保って入寂します。鎌倉幕府の成立、そして安定化を見事に図り満足した一生だったことでしょう。

 大江氏はその後備後守護に任ぜられますが1247年の宝治合戦で庶家の毛利季光が三浦泰村に協力したために、一族のほとんどを誅殺されて衰退してしまいます。しかし生き残った一族の末裔に毛利元就という謀略の天才を生みました。

 どこか広元と元就は似通った面があります。やはり血筋なのでしょう。

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