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2010年3月29日 (月)

『隋書倭国伝』の謎

 私の愛読書、山本茂著『歴史毒本』に鋭い指摘があります。卑弥呼の邪馬台国がどこにあったか決定的ともいえる証拠になるかもしれません。
 邪馬台国の場所を推定するとき、魏志倭人伝を参考にすると思います。記事が曖昧なためいろいろな説があり、近畿説、九州説を中心に四国説、沖縄説はてはフィリピンなどの南洋説まであります。
 しかしここで視点を変えて、それ以降の歴史書からアプローチできないかと著者は考えたみたいです。

 『歴史毒本』によると、『隋書倭国伝』の文章に邪馬台国の後裔である倭国は大きな島にあり、阿蘇山という火山があったとのこと。私もネットで調べてみました。
「有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行禱祭。」たしかにその記述はあります。

 さらに「明年、上遣文林郎裴清使於倭國。度百濟、行至竹島、南望○羅國、經都斯麻國、迥在大海中。又東至一支國、又至竹斯國、又東至秦王國。其人同於華夏、以為夷洲、疑不能明也。又經十餘國、達於海岸。自竹斯國以東、皆附庸於倭。」
という記述もあります。都斯麻國とは対馬、一支國は壱岐のことでしょう。竹斯國は筑紫、その東にあった秦王國は北九州だと推定されます。と言いますのも北九州の対岸、下関の彦島の遺跡から中国殷(商)時代の石笛が発見され、中国となんらかの交流があったみたいなのです。倭国の都はそこから海岸沿いにあったそうなので、おそらく宇佐神宮のあたりが都ではなかったでしょうか?

 隋の使者が面会した王は男王だったとの記述もあります。日本が隋に使節を送ったのは推古女帝の時代とされます。ここでも矛盾があります。面会したのは天皇ではなく聖徳太子であったと解釈する研究者もいますが、大国隋の使者にそんな無礼ができるでしょうか?
 古代史研究者のなかにも、この『隋書倭国伝』の記述を見て無理な解釈をしている者もいます。
「天皇の名を騙った九州の豪族が隋に使節を派遣した。」
 なるほどこれなら矛盾は解明できますが、それよりも九州には大和朝廷とは別個の独立した九州王朝があって、その王が隋に使節を派遣したという方が自然なんじゃないでしょうか。

 歴史毒本によると、そのあとの「旧唐書」にも関連する記述があるそうです。
「日本国は倭国の別種なり。 - 中略 - 日本はもと小国だったが倭国の地を合併した、と。」
 中国の認識では、倭国と日本国は別の国だと思っていたことになります。日本国が今でいう大和朝廷だとすると、倭国はやはり九州王朝だと推定できないでしょうか。

 仮定・推定が多くて申し訳ないのですが、ということは筑紫の君磐井の乱は、大和朝廷の九州王朝(=倭国)侵略の戦争だったと考えられます。こうしてはじめて大和朝廷は九州王朝に取って代わり日本列島の支配者になったのかもしれません。

 古代史における宇佐神宮の重要性も、ここが倭国の都だったとしたら納得できます。卑弥呼の国はやはり九州にあったと言えます。

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