長州奇兵隊の最期
先日、当ブログのファンから苦言とリクエストを頂きました。
「鳳山さん、最近歴史ネタ書いてないね?楽しみにしてるのに。あっ、そうそうこのまえNHKで奇兵隊のことを紹介してたんで、その後どうなったのか記事を書いてよ。」
白状しますと、歴史ネタはエネルギーを消耗するのでバテ気味の私としてはセーブして書いていたところなんです。しかし、リクエストとあれば書かねばなりますまい(笑)。
ところで私は、奇兵隊は解散後、前原一誠の萩の乱に参加して、滅びたと理解していたんですがその前に反乱を起こして多くの隊士が処刑されていたみたいですね。
その前に、ご存じない方はいないとは思いますが、念のために
『奇兵隊とは、、、 幕末、長州藩にて高杉晋作が創設した、士農工商の身分を問わずに編成された軍隊。明治維新の原動力になる。高杉なきあとは大村益次郎(村田蔵六)が指揮をとる。もともと、奇兵隊の発想は高杉の師の吉田松蔭が抱いていたもので、高杉はそれを忠実に実行したものと言える。』
(はてなダイアリーより)
というもので、幕末長州藩の主力として第二次長州征伐(四境戦争)や戊辰戦争・越後口の戦いで活躍しました。初代総督の高杉晋作は有名です。
奇兵隊は、明治維新後、大村益次郎らにより鎮台制が設立されたことで廃止されます。大村は奇兵隊を参考に武士ではなく一般庶民を兵士として採用する徴兵制を敷きました。しかし、奇兵隊はすでに士分扱いとなっており、自分達の存在の根幹が揺るがされると、これに強く反発します。
しかも奇兵隊の幹部達(山県狂介)などは、新政府の重要な役職に取り立てられているのに対して、自分達の待遇があまりにひどいことに腹を立てていました。
一方新政府としても、鎮台制の採用により奇兵隊の存在価値がなくなり、むしろ疎ましい存在となっていました。
明治二年、大楽源太郎を首謀者とする奇兵隊の一部が蜂起、山口県庁を包囲するという事件が起こりました。いわゆる奇兵隊の反乱です。
これには木戸孝允自らが兵を率い、鎮圧に当たります。大楽はじめ主だった130人あまりが処刑され反乱は鎮圧されました。しかしその残党はその後に起こった農民反乱や萩の乱にも参加し明治新政府への抵抗を続け、そして儚く散っていきました。
幕末期、歴史の主役として躍り出てきた奇兵隊、その末路はあまりにも哀れでした。
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