石田三成と梶原景時
日本史を見てみると、石田三成と梶原景時の生き方が酷似していることに気付かされます。司馬遼太郎の『関ヶ原』の大ファンとしては、どうしても三成贔屓なんですが、歴史を冷静に観察していくと、両者共に有能な官吏ではあっても、人望という点で劣っていたようです。
二人の共通点として
①有能な官吏であるために法の執行のみに頭がいってしまい柔軟な対応ができなかった。
②戦がからっきし駄目で、しかも杓子定規なために武断派から嫌われた。
③時の権力者(頼朝・秀吉)からは絶大な信頼を受けたが、その死後は没落した。
④次代の権力者(北条氏・徳川氏)から、前時代の負の遺産と見られ、攻撃され滅ぼされた。
などが挙げられます。頭が良くて計算高いために、人の情とか人望などという抽象的なものには関心が向かなかったのでしょう。しかし、人はその情で動かされるものなのです。梶原景時がなすすべもなく北条氏の策にはまり滅ぼされたのに対し、三成は曲がりなりにも堂々と野戦を起こし、滅ぼされたのですから幸せだったのかもしれません。
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