天下墓 足利直冬(ただふゆ)の墓か?
広島県と島根県の県境に近い広島県安芸高田市美土里町生田字智教寺に、「天下墓」と呼ばれる不思議な墓があります。地元の伝承では足利義昭の墓と伝えられています。
「足利義昭は、毛利氏に見放されたあと、出雲の尼子氏を頼り、安芸から石見路を経て、出雲へ向かう途中、この村にて病となった。村の一角に智教寺を構え、この寺で過ごすこと数年、ついにこの地に生涯を終えたのである。村人は、義昭を哀れに思い、この地で荼毘に付し、丁重に埋葬した。これが『天下墓』である。」
ただ、史実では義昭が没する頃にはすでに尼子氏は滅んでおり、義昭自身も「秀吉天下統一後、許されてお伽衆に加えられ山城填島で一万石を与えられ大坂で没す」と記録にありますから史実とは考えにくいんです。
地元の郷土史家もこの説は否定しており、では一体だれの墓か?という謎が残ります。一部の研究者の中には
①足利一門あるいは関係者か?
②広島・島根にゆかりのある人物
③晩年をこの地近辺で過ごした者
ということから、足利直冬の墓ではないか?と主張する者がいます。
と、ここで「足利直冬って誰?」という人が多いと思うんで簡単に紹介します。
【足利 直冬(あしかが ただふゆ)は、南北朝時代の武将。室町幕府将軍足利尊氏の妾腹の子。生没年不詳。1327年~1400年が有力。
生母の身分が低かった(遊女か?)ため父尊氏に愛されず弟直義の養子になる。尊氏・直義の兄弟対立(観応の擾乱)では直義方について九州・中国地方を転戦。一時は長門探題、九州探題を歴任し上洛して京都を占領するほどの勢いを示す。
しかし尊氏方の盛り返しと養父直義の急死(毒殺か?)で急速に没落。有力な与党であった山名・大内両氏が尊氏方に寝返るに及んで勢力を失い石見国(島根県西部)に隠棲。同地に没す。墓は不明。】
私は、天下墓が直冬の墓である可能性はかなり高いと見ています。といいますのも大内・山名ら有力守護が尊氏方に寝返る中、最後まで直冬を支えたのが安芸(広島県西部)の石見国境を根拠地とする吉川氏だと言われているからです。
石見国の守護は高師泰・荒川詮頼が一時なっていますがそれ以外はだいたい周防の大内氏が任ぜられていました。幕府方となった大内氏が睨みを利かせる中、直冬が隠棲するなら安芸国境に近い山間部しかないと思います。唯一の庇護勢力と言ってよい吉川氏の領地とも近くなにかと便利だったのでしょう。
大内氏としても寝返った手前、山間部に隠棲するのなら見逃してやろうという気持ちがなかったとは言えますまい。すでに勢力を失った直冬に対して三代将軍義満も黙認していたそうですから。
一時は天下を握る可能性もあった直冬が、晩年には尾羽うち枯らして島根の片田舎で生涯を終えるんですから人生は儚いですね。実は私、この直冬という人物大好きなのでございます。日本史書庫第1回目の記事がこの直冬だったりします(笑)。(駆け出しでまだ文章力がないんで恥ずかしいんですが…)
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直冬の墓の(可能性が高い)場所が分かったので、いつか墓参りに行きたいですね。ちょうどアマゾンで足利直冬の本を買ったばかりなのでなおさらです。しかし地図で見たらとんでもない山の中です。道があるのかどうかも分かりません(泣)。
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