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2010年5月 1日 (土)

小松帯刀清廉

数年前話題になったNHK大河ドラマ『篤姫』。私はふだんはあまり大河を見ませんが、この作品だけは宮崎あおいちゃんの魅力で毎回欠かさず見てしまいました(笑)。

 私も幕末ものはもともと大好きだったんで、いつも楽しく拝見していたんですが小松帯刀役の瑛太、いい味だしていました。実際の帯刀もあんな感じだったのかなとふと興味を憶えまして調べてみました。


【フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より】

小松 清廉(こまつ きよかど、天保6年10月14日(1835年12月3日) - 明治3年7月20日(1870年8月16日))は薩摩藩士、禰寝氏嫡流の小松氏当主。明治時代初期の政治家である。通称は尚五郎、帯刀。元の諱は兼才。官位は玄蕃頭、従四位。家紋は抱き鬼菊の葉。一般には小松帯刀(こまつ たてわき)の呼び名で知られる。

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 36歳の若さで亡くなっているんですねえ。もとは肝付尚五郎といって島津家重臣の家柄。そこから同じく重臣小松家に養子に入ります。このあたりの経緯は大河ドラマをご覧になっている皆さんがお詳しいでしょう。

 ですから私はドラマで語られなかった豆知識をひとつ。肝付氏というのはもともと大隈国の戦国大名で薩摩の島津氏とは敵対していました。本姓は伴氏です。平安時代に伴兼行が薩摩国惣追捕使に任命されて下向したのが始まりで本拠地の大隈国肝属郡の地名をとって肝付氏と名乗りました。

 南北朝時代、島津氏が北朝に付けば、こちらは南朝と徹底的に対立する天敵だったようです。戦国時代には日向の伊東氏と組んで島津氏に対抗し、一時は竹原山の合戦で島津軍を破るほどの活躍をみせますが、次第に圧迫され最後は降伏しました。

 肝付本家は百石と冷遇されていたのに、分家の肝付尚五郎の家系は早くから島津氏に帰順し重臣となっていたそうですから面白いですね。


 一方小松氏のほうも本姓禰寝(ねじめ)氏。一説には平重盛の後裔とも言われますがはっきりしません。こちらも大隈国禰寝院に勢力をはり南北朝時代には北朝方。戦国時代に島津氏に取り込まれ、以後重臣として遇されたそうです。禰寝氏の嫡流が小松氏なのでこちらも名門です。


 で、ようやく帯刀本人の話に入ります(笑)。吉利領主・小松清猷に学んだ事は事実らしいのですが、篤姫と接点があったかどうかは分からないそうです。あれはドラマの脚色でしょう(笑)。

 幼少時から凝り性だったそうです。勉学や琵琶に打ち込みすぎて体を壊したというエピソードがあります。小松清猷の跡目養子となって清猷の妹・千賀(近)と結婚します。お近さんのほうが七歳年上の姉さん女房でした。そのためかどうか知りませんが京都で活動する事が多かった帯刀は、京都小松屋敷にお琴という側室を設け、子をなします。これが小松清直で、維新後は正室の近子(お近さん)が引き取り小松家の跡取となりました。


 調べていくとドラマのようなちょっと頼りない人物ではなく、諸藩にも名前が知られた落ち着いた人物だったようです。後に薩摩藩城代家老(家老のトップ)になったことでもそれはうかがえます。

 在京中に神戸海軍操練所の閉鎖で行き場を失った塾生の世話を勝海舟から頼まれた事から、世話人で同年齢の坂本龍馬と意気投合、亀山社中の設立を助けたり龍馬がお龍を妻に娶ったときの世話をしています。

 これが後に薩長同盟に繋がるんですから面白い人脈です。薩土同盟や四侯会議でも活躍しています。二条城で徳川慶喜が大政奉還したときには薩摩藩代表として出席しています。

 明治維新後は新政府において参与や総裁局顧問、外国官副知事、玄番頭などを歴任しました。薩摩において西郷や大久保と並び称される存在であった事は間違いないでしょう。


 しかし、長年の無理がたたったのか明治2年には病気のため官を辞します。オランダの名医の治療を受けますが、その甲斐なく明治3年(1870年)に大阪で病死しました。享年36歳。

 生きていれば確実に明治政府の重鎮として要職を歴任したでしょう。もしかしたら征韓論のときも参議として西郷と大久保の決定的対立をうまく調整したかもしれません。
 初代内閣総理大臣にもなっていたかもしれませんね。

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