火の国と奴国(狗奴国)の謎
何年か前、私は不思議な夢を見ました。時代は古代の日本。年代的には弥生時代になるのでしょうが、私が知っているその当時の風俗とは微妙に違う、もっと華やかな服装をした人たち。
場所は私の住んでいる玉名市。小岱山の頂から麓の町を老賢者といっしょに眺めているのです。
「見なさい、あれが邪馬台国の都、玉杵名(タマキナ・玉名の古名)じゃ。」
賢者の声を聞いて私も一緒に古代の都を眺めているところで目が覚めました。
いきなり、幻想的な話ですみません。丁度今回のテーマを書くに当たり関係ありそうなので思い出しました(笑)。もとより玉名に邪馬台国の都があったとは私も思っていません。邪馬台国は大分県の宇佐に本拠があり北九州一帯を支配、さらには近畿に東遷したという説を支持しています。
ただこの夢を啓示と考え、漠然と玉名の古代を想像しました。もちろん学術的裏づけなどなく、私の単なる想像です。
突然ですが、熊本県はかって肥後と呼ばれていました。肥後というからには当然肥前もあるわけで、今の佐賀・長崎は肥前の領域でした。通常前・後というのは一国を分割したわけですから接していなければなりません。(例 備前・備中・備後 上総・下総 豊前・豊後 など)
ところが肥前と肥後は離れているんです。地図を見ると分かりますが、筑後が間に入って分離しています。
なぜ肥前と肥後は離れているんでしょうか?私はこの疑問にある仮説を想定しました。肥国とは火の国のことでしょう。古代において火の国は肥前と肥後を領域に持っていた=両国にまたがる王権があった、とは考えられないでしょうか?となると両国の間にまたがる有明海は重要な交通路になります。
都は当然、有明海に面したところが都合が良い。すなわち中世において重要な交易港だった伊倉津と、菊池川水運の要衝高瀬津をかかえた玉名はその有力候補ではなかったかと。
中世において要衝なら、古代においてもそうであることは容易に想像できます。それらが潜在意識にインプットされていたからこそ冒頭のような夢を見たのでしょう。
岩刻文字(ペトログラフ)の研究家吉田信啓氏の著作だったと思いますが、玉名の古名『タマキナ』は「な国の輝ける都」という意味だそうです。真相はわかりませんが「な国」と言えば魏志倭人伝にでてくる奴国を思い浮かべます。通説では奴国は博多湾近辺にあった国とされますが、私は「火の国=奴国」説をとります。一方同じく魏志倭人伝で女王国の南にあったとされる狗奴国という国がありました。
名称から奴国の分国であるという説もありますが、むしろ狗奴国(くなこく)こそ本国ではなかったかと思っています。
狗奴国には男王卑弥弓呼、官に狗古智卑狗ありと書かれていますが、この狗古智卑狗は「きくちひこ」と読むのではないでしょうか?とすれば肥後の有力豪族菊池氏との関連性も気になります。
「くなこく」は「くまこく」であり熊襲との共通項が浮かび上がってきませんか?火の国とは阿蘇山に代表される火山がある国という意味でしょう。邪馬台国と狗奴国の対立がそのまま大和朝廷に持ち越され、火の国の住民はまつろわぬ民「熊襲」と蔑まれ討伐を受けたのかもしれません。もともとは熊本以南の南九州一帯に広がっていた狗奴国は、大和朝廷の圧迫によって球磨地方や大隅国贈於郡に押し込められ、ヤマトタケルや景行天皇伝説に象徴させる大和朝廷の討伐軍によって滅ぼされたと考えます。
これらは奥州の蝦夷の歴史と似通っています。古代日本の歴史は我々が考えているよりもっとダイナミックな展開だったのかもしれません。
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