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2010年5月 1日 (土)

石川数正出奔の謎

 最近思うところあって懐かしの大河ドラマ「徳川家康」総集編を見返してます。このドラマ、ジャリタレなど一切出ず玄人受けする配役で私が一押しする大河ドラマなんですが、なかでも家康の重臣石川数正役の江原真二郎が出色ですね!


 ところで石川数正って誰?っていう人がいると思うので簡単に紹介すると、

【石川数正】1533年~1593年

 家康が今川家の人質の時代から近侍として仕え、徳川家では主に外交を担当。織田徳川同盟や桶狭間以降の対今川氏との交渉で活躍。

 三河一向一揆の時も、父康正が家康に反旗を翻す中、浄土宗に改宗してまで徳川家に残り家康を支える。家康の信頼も厚く酒井忠次と共に家老に任ぜられ家康の嫡子信康の後見人、信康の切腹後は岡崎城代を務めた。

 秀吉と家康が直接対峙した小牧長久手戦後の外交交渉で、秀吉との和平論者であった数正は主戦論が幅をきかす徳川家中で孤立。謎の出奔を遂げる。

 秀吉からは重用され信濃松本十万石を与えられた。



 武骨者ばかりの徳川家中で、真に徳川家の将来を憂い苦悩する石川数正を江原真二郎が熱演しています。こういうインテリ役をやらせたら天下一品ですね。そういえば明智光秀役もなんかのドラマでやってましたが似合っていました。



 で、本題に入ります。数正出奔の理由には古来からいくつも言われています。

 ①数正の能力を買った秀吉に引き抜かれた。

 ②外交問題で一人だけ和平を主張した数正は身の危険を感じて出奔した。

 ③後見人を務めた信康の切腹で、家康との関係が冷え切っていた。

 ④自分があえて裏切り者の汚名を受けることで主戦論の徳川家中に冷や水を浴びせ、秀吉との合戦を避けた。


 など色々言われています。他の小説では①が多いんですがこの大河ドラマの原作者、山岡荘八は④説をとっています。

 初めは私も①と②あるいは③が複合した理由かと考えてきたんですが、このドラマを見てしまうと④説も納得できるんですよね。

 
 実話かどうか知りませんが、感動的なエピソードがあります。ある時信長から賜った鯉を徳川家の家臣が誤って殺してしまい、途方にくれているところに通りかかった数正は、生きてる鯉まで合わせて調理し家臣に食べさせてしまいます。
 とうぜん、烈火の如く怒る信長を想像して、真っ蒼になった家康が数正を手討ちにしようとしますが、

「いくら信長様からの賜りものとはいえ、たかが鯉一匹とお家のために命をかけている家来の命とどちらが重いか分からぬ主君では、あまりにも情けなさすぎます。
 以後このような馬鹿げたことがなきよう、この数正が残りの鯉を調理したまでのことです。むろん主君の命に逆らった罪は罪。数正、喜んで殿に斬られますが、今後はこのような事が無きようお願い申し上げる」
と諫言します。

 座って静かに後ろを向く数正をどうしても斬れない家康。最後には主従とも涙を流して家康が謝りました。「二度とこのようなことをしない」と約束して。


 このような立派な人物が、利だけのために秀吉に転ぶでしょうか?私は④説をとりたいですね。さらに裏切り者のはずの数正の子の康長も所領を安堵されていますしね。ただその後の大久保長安事件に連座して改易にはなりましたが…。


 多分に心情的なものですが(江原真二郎の演技が良すぎたので)、私は石川数正忠臣説を支持します!

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