鎮西奉行 少弐一族 (前編)
鎌倉幕府鎮西奉行兼大宰少弐(大宰府在庁官人のトップ)として豊後の大友、薩摩の島津とともに九州三人衆と称された少弐氏。鎌倉、南北朝と九州北部に勢威を振るい室町、戦国時代、周防の大内氏と抗争を繰り返した一族です。私の好きな足利直冬とも関係が深い少弐氏、全国的には知名度が低いと思いますがご紹介したいと思います。
少弐氏はもと武藤氏といい関東の御家人でした。鎌倉幕府成立後、頼朝の命により武藤資頼が筑前、豊前、肥前三国の守護として下向してきたのが始まりです。幕府の職制である鎮西奉行のほかに朝廷の大宰府次官大弐、少弐のうち少弐を歴任したので、それを家名にしたと伝えられています。
鎌倉以時代を通じて少弐氏は筑前・豊前・肥前の前三国、大友氏は豊後、筑後・肥後の後三国、島津氏は薩摩・大隅・日向の奥三国の守護を務め文字通り九州を三分していました。
しかしその支配体制が崩れたのは元寇です。当時の当主は資頼の孫にあたる少弐経資・景資兄弟でした。奮戦した彼らでしたが、戦後幕府は支配体制の強化のため少弐氏、大友氏、島津氏から本国以外の守護職を取り上げ得宗領としたため不満を抱きます。
ただ後醍醐天皇が倒幕運動を始めるに際してはまだ彼らは動きませんでした。そこまで幕府の支配体制は強固だったと言えます。しかし武士の棟梁を任じる足利尊氏(当時は高氏)が挙兵するとこぞって味方に付きます。
建武の新政が破たんし、再び足利尊氏は挙兵しますが奥州に下向していた北畠顕家が背後から京都を攻めると敗退し九州に落ち伸びました。資頼から六代目の頼尚(よりひさ)はこれを長門国赤間関に出迎え再起を援けます。
建武三年(1336年)、多々良浜の戦いで菊池武敏を中心とする九州宮方二万騎の大軍を破ると尊氏は上洛の軍を発します。このときも大友、島津とともに少弐氏の軍が主力となりました。湊川の合戦に勝利した尊氏は征夷大将軍に任ぜられ室町幕府を開きます。
尊氏は九州の抑えとして一族の一色範氏を博多に残し九州探題に任命します。尊氏を助けた功績からも当然自分を探題に任命してくれると思っていた頼尚は当てが外れたばかりか、筑前・豊前・肥前の自分の勢力圏で利害が対立することを考え複雑な気持ちを抱きました。
これが足利幕府内部の対立である観応の擾乱で、尊氏の弟直義方である尊氏の庶子直冬を迎える動機でした。
直冬は自分を疎んじた実父尊氏を憎み、養父の直義を愛していましたから彼のために戦うのは当然でした。しかも一時長門探題に任じながら備後鞆津で騙し討ちにしようとした父を許すことはできなかったのです。
命からがら肥後の川尻港(熊本市南部)に辿り着いた直冬は、まもなく頼尚の本拠太宰府に迎えられます。頼尚は直冬を婿に迎え彼を奉じて幕府の出先機関である九州探題と戦う道を選びます。1348年のことです。
ちなみに、記録では直冬の妻は正室である少弐氏しか確認されていません。
この頃南朝側でも、懐良親王が征西将軍宮として肥後菊池武光に迎えられていましたから、探題一色氏、直冬方、南朝のまさに九州三国志時代が到来していたのです。
しかも探題方と直冬方は、もともと同じ勢力だっただけに近親憎悪が激しいものでした。南朝勢力をそっちのけにして九州各地で激しく戦います。
ここで腐っても鯛、尊氏の息子で直義の養子でもある直冬の名前は絶大な力を発揮します。九州に何の関係もない一色範氏は次第に追い詰められ一時は肥前に逃亡するくらいでした。
しかし中央で直義派が敗退し、尊氏派が盛り返すに従って直冬方は劣勢になっていきます。北朝年号と南朝年号があって複雑なので西暦で示すと1352年、再び力を取り戻した一色範氏の攻撃によって少弐氏の本拠地太宰府近辺まで戦火が及び始めるとたまらず直冬は自分についてきた部下たちを見捨てて長門に逃亡しました。
実質直冬の九州での活動は5年、何の成果も残さないまま終わりました。一方逃げるわけにはいかない少弐頼尚はこの劣勢を挽回するため、なんと宿敵である南朝菊池武光と結びます。
少弐・菊池連合軍は翌1353年、針摺原の合戦、ついで犬塚原の合戦で一色範氏を破り、たまらず範氏は九州を放棄、長門国に逃亡しました。
頼尚は菊池武光の手を取り、涙を流して「末代の果てまで貴方様に敵対することはありません」と述べたと伝えられていますが、その6年後の1359年には皮肉にも幕府方に復帰した頼尚と菊池武光は筑後川(大保原)で戦うことになるのです。
中編・後編では頼尚の絶頂時代と没落、今川了俊、大内氏との抗争、そして少弐氏の滅亡を描こうと思います。
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