外交ですでに負けていた日本
最近の私は、日本がなぜ大東亜戦争に突入したかについて考えることが多いです。石井正紀さんの一連の著作「陸軍燃料廠」「石油技術者たちの太平洋戦争」(ともに光人社NF文庫)を読むとアメリカの対日戦略の用意周到さには舌を巻かされます。
我々日本人には憎っくき限りですが、こういった強かさは今後の日本にとって学ばなければならないでしょう。
もともとアメリカは、日露戦争後の日本を仮想敵国としオレンジ計画なる対日作戦案を策定していました。年々更新されその最終プランでは石油依存度の高い日本に対しての外交戦略までも視野に入っていたのです。
戦前の日本の石油対米依存度は80%とされます。日本でもこの事実に危機感を抱く者はおり、蘭印や中東の石油に比重を移そうという動きはたしかにありました。ただ日本政府が本腰を入れて取り組んだとまではいかずアメリカに乗ぜられたのが現実でした。
まず、アメリカは支那事変で泥沼に陥っている日本に対して1939年「モーラル・エンバーゴ」(道義的禁輸)を発動します。
これは表向き「正当な理由なくして空中より市民を爆撃し、あるいは機関銃で攻撃する国に対して、高級揮発油の製造に必要な装置、製造権および技術的知識の輸出を道義的に禁止する」という名目で、冬戦争におけるソ連をターゲットにしたものとされましたが、実質的には日本に対するものでした。
いきなり全面的な禁輸にするのではなくいわばライセンスやソフトの輸出を禁止しただけです。石油に関してはまだまだ輸入できるところがみそでした。
しかしこれは後々ボディブローのように効いてきます。航空機用ガソリンに必要なオクタン価の高いガソリンの製造が困難になってしまうのです。技術力の低い日本はこのために最後まで100オクタン以上のガソリン製造ができませんでした。
近代戦の死命を制するのは飛行機だと知るアメリカの深謀遠慮の一つです。
また、アメリカは日本と蘭印や中東の産油国との石油輸出交渉にも圧力をかけて邪魔します。
1940年にはハイオクタン航空ガソリンや四エチル鉛(ガソリンのオクタン価を高める)の対日輸出を禁じました。
アメリカン巧妙なところは、いきなり石油を全面禁輸にしないことでした。日本を生かさず殺さず。ギリギリ支那事変を遂行できるだけの量の石油を与え疲弊するのを待つ、憎らしいまでの作戦です。
これに日本は次第に追い詰められていきます。1941年の対米交渉など初めから妥結するはずのないものだったのです。アメリカは戦争する気満々だったのですから…。
1941年8月、アメリカは石油の全面禁輸を通告してきます。真綿で首を締められるように疲弊した日本は1941年12月8日、このまま座して滅びるよりはと対米戦に突入したのでした。
長期的展望を持った戦略のない日本、対日戦を早くから想定しそのための布石を着々と打ってきたアメリカ、勝負は初めからついていました。
現在の日本もとても長期的戦略があるとは思えません。大戦前のアメリカのような卑劣なまでの巧妙さを持てと言うつもりはありませんが、すくなくとも外国に乗ぜられない体制を作るべきでしょう。
明治日本の巧妙な外交と比べて、同じ民族かと疑うような外交の稚拙さ、どうしてここまで日本の政治は劣化したのでしょうか?
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