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2010年10月 5日 (火)

石見銀山の産出量

 前の記事(注:Yahoo!ブログの方)で飛騨の金山産出量が話題になったので、当時の金銀鉱山の産出量がどのくらいあったか調べてみました。


 といっても産出量がほぼ分かっている島根県の石見大森銀山のケースですが。



 そのまえに石見銀山とは…【石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)であり、大森銀山(おおもりぎんざん)とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山(さまぎんざん)と呼ばれた。】(ウィキペディアより)



 戦国時代ファンなら、周防の大内氏と出雲の尼子氏の激しい争奪戦が起こった銀山として有名ですね(笑)。

 
 当時の日本は世界的にみて銀の大産出国だったらしく、世界の銀採掘量の三分の一は日本だったとのことです。日本全体で200トン、そのうち石見銀山が38トンといいますから凄いです。ちなみに生野銀山で年4.5トンという資料もありますから石見銀山は群を抜いた生産量があったのでしょう。


 で、肝心の38トンの銀がどれくらい価値があったかですが、だいたい10000貫に当たったそうです。1貫文=2石で2万石くらい。あれっ思ったほど高くないですね。

 イメージ的には10万石以上あるようなイメージですが…。ウィキの資料が間違ってるのかな?(汗)


 ただ、米は売却しなければお金に変わりませんが銀はそのまま通用するから実際の貨幣価値はそれ以上だったのでしょう。


 1貫文=1両といいますから、これだと年1万両の収入になりだいぶイメージが湧きます。


 前の記事で話題になった飛騨の金山の総産出量は江戸期資料で3万石程度。戦国時代はどのくらいか分かりませんが、半分としても1万5千石くらいはあったとすると、けっこうな金額になりますね。しかも米と違いそのまま流通できますから。いや飛騨の場合は内ヶ島氏の帰雲城が地震で壊滅した後なんで、それ以前はもっとあったかも?


 戦国武将で領内に金山や銀山を持っていた武将は、石高以上に潤っていたと思います。例えは変ですが不労所得のようなものなので、その金で鉄砲とか買えたんじゃないでしょうか?

 現代で言うならオイルマネーみたいなものでしょうね。


 それにしても戦国時代を経済面から見てみるのもなかなか面白いです!

追伸:

 失礼!後でググったところ、1貫文=2石というのは銅貨の話で、金1両が銀60匁に当たるので銀1万貫は金に換算すると16万6667両(小数点以下四捨五入)になるそうです。銅貨の貨幣価値と銀の重さの単位をごっちゃにしていたんです。本当に恥ずかしい。

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