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2010年11月 2日 (火)

佐賀鍋島藩に関する小ネタ2  直茂涙目

 佐賀鍋島藩36万石と呼ばれますが、当時の領内図を見てみるとその面積の半分以上を竜造寺四家が占める異常な状態になってます。というのは鍋島家がもともと竜造寺家の家臣で、竜造寺家当主の高房が不行跡によりお取り潰しになったので、幕府の命で直茂の嫡子勝茂が家督を引き継ぐ形で成立した藩だからです。

 高房の父、政家の時代から豊臣秀吉の命で直茂が軍役代行者(事実上の藩主)でしたから、ここで名実ともに佐賀の領主になったわけです。


 幕府は勝茂家督相続に関して、竜造寺一門の諫早、多久、武雄、須古などを呼んで意見を聞いたそうですから藩成立のいきさつからして遠慮があったのだと思います。


 これら四家を、佐賀藩では親類同格という一種異様な体制で取り込みます。おそらく参勤交代では四家分を足した36万石で勤めなければいけなかったはずで、鍋島家の負担は他の大名以上だったかもしれません。一方取り込まれたほうは軍役もなし(すこしはあったかも?)でウハウハ状態だったと思われます。参勤交代も付いて行ってない様な気がします。

 諫早家などは裕福で有名で、隣国島原半島の領主松倉家の暴政で苦しんでいた領民は心の底から羨んでいたそうです。



 ウィキペディアで調べると


 ◇諫早家(肥前諌早領2万6,201石(物成10,480石)・龍造寺一門)維新後男爵 
      
  龍造寺家晴(龍造寺鑑兼の子)が藩祖。


 ◇多久家(肥前多久領2万1,735石(物成8,694石)・龍造寺一門)維新後男爵

  龍造寺長信(龍造寺隆信の弟)が藩祖。

 
 ◇武雄鍋島家(肥前武雄領2万1,600石(物成8,640石)・龍造寺一門)維新後男爵 

  後藤(龍造寺)家信(龍造寺隆信の子)が藩祖。


 ◇須古鍋島家(肥前須古領8,200石(物成3,300石)・龍造寺一門)

  龍造寺信周(龍造寺隆信の異母弟)が藩祖。


 で、合計8万石ほどが親類同格に持っていかれてます。36-8=28万石が鍋島家の直轄領ですが、さらにここから蓮池、小城、鹿島の三支藩、重臣たちの領地を割かなければいけないんですから、鍋島直茂にとっては、あまり旨味がなかった、というより涙目的展開のような気がします。


 これでは佐賀の化け猫騒動で竜造寺家を乗っ取った恨みがどうこうって言われても、たまったもんじゃないですよ(苦笑)。

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