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2010年12月30日 (木)

高屋城   畠山金吾家(嫡流)の城

 グーグルマップで大阪府羽曳野市を拡大してもらうと分かりますが、古市あたりに安閑天皇陵という前方後円墳があります。実はここ、室町~戦国時代には高屋城の城域でした。それも古墳部がまるまる本丸になっています。
 罰あたりともいえますが、戦国期には近畿に点在する古墳は城として利用されるケースが多かったそうです。大坂夏の陣で徳川家康が本陣にした茶臼山も古墳です。さらに有名な仁徳天皇陵も戦国時代には城として利用されていたそうです。
 現代人の我々からするとちょっと理解できない感覚ですが、穢れの最たるものである墓にあえて築城することで『穢れの逆転』が起こり加護を得るという思想があったとも言われています。
 もっとも罰あたり云々を除外して考えると平野部で盛り上がった小山、しかも堀まであるとすれば城として利用しない手はないと当時の武将が考えても不思議ではありません。私が当時の人間なら絶対に嫌ですが(苦笑)。
 生きるか死ぬかの世界で生きていた当時の武将にとっては、「罰あたり」とか「祟り」とかいってる状況じゃなかったのでしょう。
 高屋城は、室町幕府三管領の一つ、畠山金吾家(嫡流)の本拠地です。応永年間(1394年~1427年)に時の管領畠山基国が築いたとされます。
 管領のほかに、河内・和泉・紀伊・能登の守護を歴任した畠山氏は河内の高屋城を中心に領国を支配しました。いずれ畠山氏の歴史は詳しく書く予定ですが、高屋城があまりにもユニークなため先に紹介しておこうと思った次第です(笑)。
 この城は、河内の要衝にあることから何回も支配者を変えています。畠山から細川、三好と目まぐるしく城主を変え、そのたびに多くの血が流れました。古代人の墓の上で、戦国の者たちが血を流すのですから、その意味では罰があたったのかもしれません。
 当時の人たちはどんな気持ちで戦っていたのか気になります。中には神仏の祟りを恐れながら籠城した人もいたはず。とくに夜の見回りなんて絶対したくありません!(爆)。
 私なら本丸は怖いので、三の丸あたりに配置してもらうなあ(苦笑)。

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