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2010年12月30日 (木)

細川氏の守護領国

 実は、いろんな一族の興亡を描いているうちに室町期の各国守護家の歴史を書いてやろうという秘かな野望を抱いたんです(笑)。まあ一部有名どころはすでに書いているので、残るのはマイナーなものばかりですが(爆)、その流れで各国守護を調べていていくつか分かったことがあります。
 まず、薩摩島津氏は薩摩・大隅はもちろん名目上日向の守護もほとんど占めていたことです。一時南朝方に付いて今川了俊に奪われますが、帰順後はずっと日向守護は島津氏です。意外にも伊東氏は日向一円支配をほぼ達成しながら一度も守護になっていません。
 あと肥前守護も、少弐氏は数えるほどしか就任していません。おそらく九州探題の知行国となっていたんでしょう。一色、今川、渋川という歴代九州探題が肥前守護を兼任しています。少弐が肥前に根拠地を移したのは本国筑前を大内氏に圧迫されたからだと思います。
 東国に目を向けると下総の守護をずっと千葉氏が世襲していたのに対し、上総守護はバラバラです。なんと一時は佐々木道誉が守護になったりしています。千葉氏は上総のイメージがあったんですが意外でした。
 下総なら結城氏あたりがなってもおかしくないと思うんですがね。
 安芸武田もイメージ的にはずっと安芸守護だった感じがしますが、守護職は初期だけで後は細川、山名に守護職を奪われていたようです。一説では安芸半国守護と言われますから一国支配には程遠い状況だったのでしょう。
 で、やっと本題です(爆)。
 私は、応仁の乱以後他の守護家が急速に衰退する中細川氏だけが強大な権力握り幕政を壟断できた秘密を常々疑問に思っていました。一つは細川氏だけが嫡流(京兆家)の後継者に恵まれ、一族団結できたのが大きかったのでしょうが、枢要な国の守護職を世襲でき領国化できたのも大きな要因だと思います。
 本拠四国は、伊予以外の三国(阿波、讃岐、土佐)の守護を独占し、畿内への橋頭保である淡路、和泉、摂津もほぼ一族で固めています。さらに山陽道の備中・備後、そして丹波もほぼ細川領国です。
 山名氏を六分の一殿(11カ国の守護)と言いますが、細川氏は9国。しかも山陰の比較的貧しい国が多い山名と違い豊かな国ばかりです。これでは台頭しないほうがおかしいくらいです。
 ただあまりにも豊かだっただけに、家宰の三好氏の力も強大化し最後は下剋上されるわけですが…。
 誰も文句言うものはいなかったんでしょうか?斯波、畠山に比べあまりにも優遇されすぎです。言いたくても言えなかったのかも?強大な細川に睨まれると怖いですからね(苦笑)。畠山義就みたいに(爆)。

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