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2010年12月30日 (木)

美濃土岐一族

 鎌倉、室町時代を通じて美濃(現在の岐阜県)に勢力をはり、室町時代には美濃守護として幕府に重きをなした土岐氏。その末期には権臣斉藤道三に乗っ取られます。
 土岐氏はどのようにして誕生し、滅んだのでしょうか?私はややマイナーながらこの一族に興味を覚えました。
 土岐氏は、酒呑童子伝説で有名な摂津源氏源頼光五世の子孫、光信が美濃国土岐郡土岐郷に居住して土岐氏を名乗ったのが始まりとされます。
 鎌倉初期の当主、光衝は源頼朝に協力し御家人となります。土岐氏は鎌倉時代には美濃守護にはなりませんでしたが、この地に勢力を扶植したのは間違いないでしょう。
 そして鎌倉末期、土岐一族はいち早く後醍醐天皇と通じ幕府に謀反を起こしますが六波羅探題の攻撃で敗れます。しかしまもなく足利尊氏、新田義貞らの活躍で幕府が倒されたため、土岐氏は生き残ることができ、足利方の有力武将として美濃守護に任じられます。
 南北朝初期の当主が、バサラ大名で有名な土岐頼遠です。足利将軍家を助け大功を上げたためか、驕慢で傍若無人な振る舞いが多かったそうです。同じバサラ大名でも佐々木道誉と決定的に違っていたのは、道誉がバサラをあくまでポーズとして取っていたのに対し、彼は本気でバサラを貫いたところです。
 頼遠のバサラがある日決定的な事件を起こしました。ある時光厳上皇の牛車に出会った頼遠は道を譲らなかったばかりか、酒に酔った勢いもあってあろうことか弓を射かけたのです。
 さすがにこれは幕府も見逃すことはできませんでした。激怒した尊氏の弟直義は、1342年頼遠を逮捕し六条河原で処刑します。
 美濃守護職は、頼遠の甥、頼康が継ぎました。三代将軍義満の時代になると、彼の有力守護圧迫政策のあおりを受けて土岐康行が謀反を起こしますが、これも簡単に鎮圧されました。
 守護は、叔父の頼忠に持って行かれ、以後彼の子孫が土岐氏の嫡流となります。
 応仁の乱に入ると、美濃守護土岐家は守護代斉藤妙椿(みょうちん)が力をつけ、守護家を凌ぐようになります。斉藤氏は美濃目代として越前から移り住んだ一族ですが、土岐家の守護代として美濃国内で勢力を扶植し妙椿の時代についに力関係が逆転します。
 このあたり越前の斯波氏・朝倉氏の関係とそっくりですが、妙椿の死後斉藤氏は家督争いを繰り返すうちに衰え、かろうじて土岐家は守護として存続しました。
 斉藤氏が衰えるにつれ、その家宰であった長井氏が台頭し美濃は下剋上の風潮が蔓延します。戦国時代、この長井氏のもとに一人の男が流れ着きました。油商人とも浪人とも称する怪しげな男でしたが、持ち前の才覚で長井氏の信任を得、まず家臣の西村氏の名跡を継いで西村勘九郎、次いで長井氏から名字を貰い長井新九郎と名乗りました。
 これが下剋上の代表ともいうべき斉藤道三の若き日の姿ですが、最近の研究では彼一代の成果ではなく親子二代で成し遂げた美濃乗っ取りだったといわれています。
 当記事では、あえて道三一人の業績として記しますが、長井氏は新九郎の異才に驚き守護家の部屋住み頼芸(よりあき)に推挙しました。新九郎は巧みに頼芸に取り入り、本来なら守護になれない主君を謀略の限りを尽くして美濃守護職につけます。
 こうして頼芸は守護であった兄政頼を追放し美濃を奪いました。この時には長井新九郎は名門斉藤氏を継いで斉藤新九郎利政となっていました。だいたい1539年ころの話だといいます。翌1540年には居城として有名な稲葉山城を築きます。
 利政の野望はここに止まるはずもありません。傀儡政権としての価値もなくなった美濃守護土岐頼芸は1552年ついに追放されました。ここに美濃守護家土岐氏は滅びます。利政は出家して道三と名乗ります。有名な斉藤道三の誕生でした。
 頼芸は各地を放浪したそうですが、その子頼次が秀吉、家康に仕え旗本として残りました。
 斉藤道三とその子義龍、織田信長の間には面白いエピソードもあるんですが史実かどうか自信がないのでここでは紹介しません。詳しくは司馬遼太郎『国盗り物語』を見てね!(笑)

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