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2010年12月 3日 (金)

日本古代の甲冑

 日本の甲冑に関心を持つと、大鎧の前の奈良時代はどうだったか?その前の古墳時代は?弥生時代はどうなのかと興味は尽きません。


 武士の甲冑として有名な大鎧は平安時代に誕生しました。その前の奈良時代はどうだったのか調べましたが不明でした。ただその前の古墳時代は短甲や挂甲(古墳時代の武人埴輪のような甲冑)が使われていたことは発掘などで分かっています。


  短甲が最も古く弥生時代から古墳時代にかけて使われたそうです。原則として胴の部分のみを保護した鎧で、時代が進むにつれ木製(おそらく弥生時代)から革製、鉄製と発達しました。
 よく吉野ヶ里遺跡などで描かれる兵士の着ている鎧ですね。


 挂甲(けいこう)がどんなものかというと、分かりやすく説明すれば埴輪の武人像の甲冑といえば理解できるでしょうか?オールドファンなら大魔神(佐々木じゃなくて本物のほう)の甲冑だと説明するほうがいいかもしれません。鉄や皮でできた板を紐でつなぎ合わせて作られたもので、のちの大鎧に発展しました。

 じつは挂甲には騎馬民族の甲冑の影響があると指摘されています。人が渡ってきたか技術だけ渡ってきたのか分かりませんが、これの発展形である大鎧が騎射戦を行う武士の甲冑となったのも頷けますね。


 奈良時代はおそらく挂甲と大鎧の中間の形をしていたはずですが、詳細はわかりません。


 あとマイナーなところで綿襖甲(めんおうこう)というのもあるそうです。 二枚の布の間に綿などを挟み込んだ鎧だそうですが、モンゴル人が着ている服のようなイメージがあります。ウィキペディアの説明ではキルティングアーマーの一種だそうです。形状は外套状。外側から金属製の鋲を打って内側に鉄や革製の礼(さね)を止めているそうです。中国を中心とする東アジアで広く使われているそうで、生産が比較的容易だそうですが、日本ではあまり普及しなかったそうです。


 う~ん、古代の甲冑は資料が見つからなくて難しいですね。

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