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2011年7月 1日 (金)

長篠合戦と三段撃ちと早合

 長篠(設楽ヶ原)合戦1575年といえば、織田信長が武田騎馬隊を破った合戦として世間には名高いですよね。
 通説では発射速度の遅い鉄砲の欠点を補うため、三段に分けて交互に発射させる所謂三段撃ちをしたとされますが近年の研究では三段撃ちではなく早合(はやごう)ではなかったかという意見が有力です。
 早合というのは、一発分の弾薬を竹または木の筒に包んだ一種のカートリッジです。まず蓋をあけ火薬を銃口から流し込みそのあと弾丸を落とし突き固めて発射するという仕組みです。これだと熟練すれば一発17秒から18秒で発射できたといいます。
 鉄砲の発射速度の欠点を補うたいへん有力な方法で、安土桃山時代急速に普及しました。
 
 ということは三段撃ちはなかったのでしょうか?否定論者は机上の空論で現実的には難しいという主張です。私もこれまでそれを信じていました。
 ところが私が最近読んだ「戦闘技術の歴史 近世編」(クリステル・ヨルゲンセン他著)では日本の歴史学者が言ってきた事とは全く逆の事が書かれており私も驚いています。
 話が急にヨーロッパに飛びますが、オランダ独立戦争(1568年~1648年)の英雄マウリッツ・フォン・ナッサウ(オラニエ公マウリッツ)の軍事革命の事を詳しく紹介してありました。
 私の理解では、三兵戦術(騎兵・歩兵・砲兵)と兵站線の確保までを統合した近代戦術を確立したのがマウリッツの改革であり、スペインのテルシオ戦術に対抗するためにマスケット銃兵を主力としたオランダ式方陣でそれを打ち破りオランダ独立をはたしたのが彼の功績だと思っていました。
 さらにマウリッツ式を発展させたのがスウェーデンのグスタフ・アドルフであり、マウリッツは近代戦術の父だと理解していたのです。
 おおむねその理解で間違いなかったのですが、本書ではマスケット銃歩兵隊の具体的運用方法が書いてあっりました。
 本書によると、マスケット銃卒は発射速度を上げるために紙薬莢(原理は早合と同じ。包んでいる材質の違い)を使用し、部隊を三つの梯団に分けます。
 三つの梯団は直列し、まず先頭部隊が発射したらまわれ右して第3部隊の後方に付く。次に第2部隊が発射。次に第3部隊と次々に発射し、各部隊は後方で順番を待っている間に弾込めを済ますことで飛躍的に発射速度を上げ連続発射を可能にしたとされます。
 もちろんそれを実行するには厳しい訓練が必要ですが、実際にオランダ軍はこの戦法で当時最強のテルシオ陣形を打ち破ることができたのです。
 どうですか?これこそまんま三段撃ちじゃないですか?しかも横隊ではなく部隊単位の運用なのでさらに難しいと思いますよ。
 いかに日本史学者が世界史を勉強しておらず井の中の蛙かわかる事例ですね。現実性がないどころか欧州ではそれが当たり前だったのですから(呆)。
 「早合を使用したから三段撃ちはなかった」じゃなくて早合もし、さらに三段撃ちもできたじゃありませんか!マウリッツはまさにそういう運用を確立していたんですから。
 読み進めていると、横隊の三段撃ちはフランス軍の運用に近いということが分かりました。ただフランスも後に梯団方式に改めているそうですからマウリッツ式の方が有効だったのでしょう。私の素人考えでも横隊は防御向き、梯団は攻撃にも有効だったと思えます。
 長篠合戦の織田軍鉄砲三段撃ち問題、ヨーロッパの戦史を参考に再検討する必要があるのかもしれませんね。

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