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2011年8月 4日 (木)

歴史ドラマと鐙(あぶみ)

 先日「ROME」(ローマ)という歴史ドラマを見ました。ふと疑問に思った点ですが、騎乗のシーンでは鐙がなかったんですが遠景になるとしっかり鐙を使って馬に乗っていたんです。

 それで考えたんですが、やはり生まれながらの騎馬民族じゃない人は鐙がないと馬に乗れないんだなと。


 鐙が一般化したは4~5世紀くらいだそうです。イランあたりの遊牧民族が使い始めたとされますが、もっとも古い例は紀元前3世紀のパルティア(これもイラン高原)の弓騎兵だと言われています。


 ユーラシア草原地帯の遊牧民族より、イランあたりのほうが騎乗技術が下手だったのでしょう(爆)。文明に接しすぎて軟弱になったのかも?


 鐙がないと、直接自分の足で馬の腹を締めて乗らなければいけません。これでは農耕民族は満足に馬を扱えません。走らせるのも一苦労だし、ましてや馬上の戦闘など不可能に近いものがあります。幼いころから馬に接し、馬とともに生きてきた遊牧民族じゃないと馬を操ることはできません。

 これが古代において、農耕民族にどれほど強大な国力があっても騎馬民族を征服できず、そればかりか簡単に侵略を受けた原因です。にわか作りの騎兵隊はあってもプロの騎兵には通用しなかったということでしょう。


 ですから鐙の発明は軍事史上の画期的発明でした。これで農耕民族もなんとか騎馬民族に対抗できるようになったんですから。イラン高原の遊牧民に感謝しなければいけませんね。


 それにしても情けないのは鐙を発明したイランの遊牧民族です。スキタイとか匈奴といった名だたる遊牧民族は、鐙がなくとも馬上で弓を使い農耕民族の軍隊を翻弄していたんですが、私が想像するに古くからの文明地帯に接したイランでは、騎馬民族だけの軍隊では足らなくなって都市や農村の農耕民を徴兵しなければいけなくなったため、必要上鐙を発明したのだと思います。


 おかげで仲間の遊牧民族が相対的に弱体化したんだから罪は重いです(笑)。その分農耕民族にとっては救世主ですが(爆)。

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