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2011年8月 4日 (木)

西洋城郭発達史

 私は歴史好きですが、中でもお城は大好物でございます(笑)。近世の城は言うに及ばず中世の土塁と柵だけの城も好きで、近所の城跡はたいてい訪れました。

 私の城好きは日本だけに止まらず西洋にまで興味が広がります。そこで今回は西洋のお城の発達史を簡単に振り返りたいと思います。


 西洋においても城と呼ぶ物は、はじめは土塁と柵の簡単なものでした。しかしギリシャやローマなどの古代文明が発達してくると都市を石の城壁で囲む都市国家が発達します。これこそ城郭都市と呼べるものでした。



 中世に入ると、財力のあるハンザ同盟その他の都市国家はいざ知らず領主たちはそのような大規模な城を築けませんでした。勿論古代の技術も失われていったのでしょう。しかし西洋はノルマン人やマジャール人など異民族の侵入に絶えず悩まされました。領主たちは自分たちも身を守るため何らかの防御施設を造る必要性に駆られたのです。

 そして誕生したのが「モット・ベイリー式城郭」です。だいたい10世紀までには骨格が固まっていたとされます。館が発展した形です。マウント部の館を中心に一段低いところに住居・倉庫などの施設を設けていました。周囲を板の塀で囲みさらに空堀(堀)で防御しています。



 これが発展してくると本格的石造りの城郭になります。このあたり日本と似ていますね。土塁→石垣と発展したのは日本も同様です。


 しかし西洋では火砲が発達し、石造りの城では防御が難しくなります。といいますのも弾丸によって城壁が破壊されその破片で城兵が傷つくからです。


 ここで西洋では城というものが二分しました。いわゆる戦争を想定しないで居住・統治のためだけの城いわゆる城館と、大砲を使用する近代戦に対応できるよう特化した稜堡式城郭と呼ばれるものです。


 皆さんが西洋のお城と言われて想像するのは、たいていこの2タイプです。白雪姫のお城などまさに中世城閣でありながら城館的要素を持っているように見えますね。


 西洋のお城の究極系は稜堡式城郭ですが、

①大砲の直撃に耐えられるよう城壁を低く、厚くし、さらに弾丸のエネルギーを吸収できるよう土塁に戻した。

②防御側の死角をなくすため王冠のような形にした。

③自軍の大砲を城壁上から発射するために、空堀の前に斜堤と呼ばれる傾斜を作って大砲の死角をなくした。

というものでした。その意味では西洋式城郭を参考にしたとされる函館の五稜郭はやや不十分でした。まあ実戦経験のない日本でそこまで要求するのは酷ですが…(苦笑)。


 これ以降は、大砲の発達に伴い稜堡式城郭でさえ防御が困難になります。城郭というものは次第に淘汰され、近代要塞へと生まれ変わりました。その代表例がマジノ線やセバストポリ要塞ですが、ここまでくるともはや城というイメージではなくなってしまいます(笑)。
 

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