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2011年10月 1日 (土)

アケメネス朝ペルシャの軍隊、「不死隊」考

 アッシリアに次いで古代オリエント世界を統一したアケメネス朝ペルシャ(紀元前550年 - 紀元前330年)。
 
 アケメネス朝を語る時必ず出てくるのが精鋭部隊「不死隊」です。
 
不死隊(ふしたい)とはアケメネス朝ペルシアの定員一万人の精鋭部隊である。ペルシア戦争期にはヒュダルネスが率いた。
一人の兵士が倒されてもまた別の新しい兵士がすぐに補充され戦闘に加わり戦ったことからヘロドトスがこれを指してアタナトイ(不死の意)、もしくは一万騎兵と呼んだものが起源で、英語でイモータルズ(immortals、隊員はイモータル)、不滅隊などとも呼称される。ただしアタナトイの語についてはペルシア語で随伴者を意味する「アヌーシャ」が転訛した可能性も指摘される。】(ウィキペディアより)
 
 
 ただこの不死隊、実態がよく分からないのです。騎兵であったのか歩兵であったのかさえはっきりしません。帝国内の多民族によって構成されたためある者は騎兵、ある者は歩兵というように出身民族ごとにまとめられ必ずしも統一した編成ではなかったとの説もあります。
 
 
 アケメネス朝の前のアッシリアは、わりと軍隊編成がはっきりしています。主力の重装歩兵をはじめ、騎兵、戦車、軽装歩兵、攻城兵、工兵などが整然と組織され10万規模の軍隊であったとされます。
 
 アッシリアは尚武の民族でしたから、常備軍として強力な軍隊が存在しその強大な力によって他民族を征服しオリエント世界を統一できました。
 
 一方、アケメネス朝ペルシャはイメージ的に遊牧民族の流れをくんでいそうで、整然とした軍隊を組織したような感じはしません。単に私の知識不足かもしれませんが王朝初期にはまだ蛮性を保っていた民族の騎馬戦力があったから征服できたと考えます。
 
 ですから文明世界を征服し、支配民族として君臨するうちに贅沢に慣れ民族固有の軍事力が弱体化し役に立たなくなったのでしょう。その代わりに集められたのが不死隊ではなかったかと考えます。
 
 丁度、東洋で清帝国が辿った道と同じケースだったのかもしれません、帝国建国に大いに貢献した女真民族の騎兵も末期には弱体化し漢人の民兵(軍閥の私兵)に頼らざるを得なくなっていたではありませんか。
 
 
 そして不死隊でさえもいつの間にか消滅してしまいます。少なくともアレクサンドロスとの戦争時に存在したという資料は見つかりません。あったのかもしれませんが戦局にはまったく寄与していないのです。
 
 むしろ地方の総督に率いられた各民族の部隊を集めて戦争していたように思います。アケメネス朝はあまりに巨大になりすぎて、コントロールできなくなっていたのでしょう。統一した常備軍ではなく、戦争になったらかき集めてくる徴募兵が主力になっていたと思います。
 
 ですからペルシャではギリシャ人傭兵が軍の中核を成していたし、プロの軍隊であるマケドニア軍に負けたのでしょう。当時のギリシャ世界は国民皆兵が当たり前でしたから。半常備軍化していたと思います。
 
 
 あまりに文明世界に浸っていると軍隊は弱くなりますね。アッシリアが最後まで軍事国家でありえたのは、文明世界に首都を移さずあくまで植民地として支配したからでしょう。一方、アケメネス朝は帝国の中心をいち早くメソポタミアおよびその周辺地方に移したため、文化や経済の面では発展しても逆に軍隊が弱体化したのだと思います。
 
 
 両者の違いは、アッシリアが農耕民族であり(周辺の遊牧民族の血が入っていたとしても)自前の都市(アッシュールやニネべ)を持っていたのに対し、ペルシャが遊牧民族としての血を多分に持っていたことの差でしょう。遊牧民族は征服者としてすんなり都市に入り込む傾向がありますから。モンゴルを見ていると分かりますね。
 
 そして最後は文明世界に取り込まれ、消滅するか反乱によって叩き出されるというところも共通しています。尤も遊牧民族は土地に執着しませんから草原に逃げてまた勢力を盛り返すことも可能でした。
 
 
 こうして見るとどちらが良かったのか…?世界史は面白いですね。

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