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2011年12月 1日 (木)

「春の目覚め作戦」   - 東部戦線におけるラストギャンブル -

 第2次世界大戦の西部戦線、劣勢のドイツ軍が防備の薄いアルデンヌ地方に攻勢をかけ最終的には連合軍の一大補給港アントワープを占領して連合軍の兵站に危機をもたらすという大胆な作戦「アルデンヌ攻勢」(バルジの戦い。独軍呼称「ラインの守り作戦」)は有名です。
 
 一方東部戦線はスターリングラード攻防戦、クルスク機甲戦で敗れた後、ドイツ軍は一方的にソ連軍に押しまくられベルリン陥落まで一直線という印象があります。
 
 しかしドイツ軍は後退しながらもソ連軍に痛撃を与え続け、ただ敗走していただけではなかったようです。事実ベルリン攻防戦でもむしろ損害はソ連軍の方が多く1のドイツ軍を撃破するために10の損害が生じるという状況でした。
 
 そんな中、ドイツ軍は東部戦線においても一大攻勢作戦を企図します。作戦名は「春の目覚め」。ドイツ軍の作戦ネーミングセンスにはいつも感心させられますが、これも出色です。
 
 1945年3月という押し迫った時、作戦は発動しました。目的はハンガリー、バラトン湖東岸を突進しソ連軍第27軍と第28軍の間を分断し、バラトン湖南西岸から進出した部隊がソ連第56軍を拘束、包囲殲滅することによってハンガリー油田地帯を確保するというものです。
 
 しかしソ連軍主力はベルリン東方100キロの地点まで迫っていました。陸軍参謀本部は首都防衛が最優先だと最後の戦略予備を副次的戦線に投入することに反対しました。しかし「戦争は石油の確保が最優先だ」というヒトラーに押し切られます。
 
 バラトン湖東岸進出部隊の主力はSS(武装親衛隊)第6装甲軍、それを左翼から第6軍が補佐し、南岸進出部隊には第2装甲軍が当てられました。
 
 ここで戦史に詳しい方には懐かしい部隊が出てきますね。SS第6装甲軍はバルジの戦いの主役、第6軍はスターリングラードで降伏した部隊です。ともに消耗した部隊の再編中でした。おそらく充足率は50%前後だったと思います。
 
 この攻勢の主役であるSS第6装甲軍の攻撃は3月6日開始されます。完全充足の部隊なら恐るべき力を発揮するはずでした。(8個師団のうち7個が装甲師団なのですから!通常は全師団の半分くらいしか装甲師団はいない)しかし実際は再編途中、ソ連軍もドイツの攻勢を察知してクルスクと同様対戦車縦深陣地いわゆるパックフロントを築き待ち構えていました。
 
 季節は春、しかしハンガリーはいまだ雪解けの泥濘の中でした。それでもSS第6装甲軍は3月15日には40キロの地点に進出します。ところが助攻の第2装甲軍の進撃がうまくいかず南部戦線は膠着状態に陥りました。
 
 翌16日、満を持したソ連軍は逆襲に転じます。この作戦の成否は装甲師団による機動力にありました。しかし泥濘とソ連のパックフロントによって足を取られた今となっては、数で勝るソ連軍の鉄の暴力にただ耐えるだけの状態に陥ったのです。
 
 結局ドイツ軍は、ソ連軍の攻勢を支えきれず戦線は各所で分断されます。力尽きたドイツ軍が後退するあとを追うようにソ連軍の進撃が続き、前線は作戦開始時より100キロ後退、作戦は完全に失敗しました。
 
 こうしてハンガリー戦線は崩壊、ただベルリン陥落を早めるだけの結果に終わります。
 
 
 だとすればこの戦略予備を、ベルリン東方を守るゴットハルト・ハインリキ上級大将のヴィクセル軍集団に配属してほしかった!!!名将である彼にこの部隊を預ければ史実以上の見事な防衛戦を演じてくれたに違いありません。
 
 ゼップ・デートリッヒ(SS第6装甲軍司令官)に、このような大作戦を指揮させるのは荷が重かったのでは?実際バルジの戦いでも活躍したのはマントイフェル率いる第5装甲軍のほうでしたからね。
 
 
 ヒトラーの国防軍不信、武装親衛隊(SS)重視の弊害は戦史上多くの失敗をもたらしていますね。

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