米原(よなばる)長者伝説 つづき
前記事の米原長者伝説の続きです。といっても私が勝手に推理しているだけの話ですが…(汗)。
熊本県玉名市から山鹿市に抜ける県道16号線沿い、山鹿平野にでる少しまえの丘陵に焼米(やいごめ)城という鎌倉時代の山城跡があります。ここの城主、焼米五郎は実在の人物で蒙古襲来の時に活躍した人だとか。
場所は菊鹿町米原からはちょっと離れていますが、焼米氏という珍しい名前ですからもしかしたら米原長者の後裔かもしれないんです。
前記事では伝説にすぎないと断じたのに子孫って矛盾しているだろ?という突っ込みは当然あると思います。
ただ日岡山と米原長者の話は伝説でも、この地を治める古代豪族はいたのではないかと考えます。米原長者が用明天皇から「長者」号を授かったというのはこの地の古代豪族の支配権を朝廷が認めたことの証拠ではないかと思いました。
実際、ここから数キロ南に下った鹿央町の千田聖母八幡には古代に卑弥呼に仮託される女王がこの地を治めていたという伝説もあるくらいですから。これは内田康夫の浅見光彦シリーズ「はちまん」でも紹介されているエピソードなんです。
実はこの小説で千田聖母八幡の存在を知って現地に向かったくらいです(笑)。
焼米氏はもしかしたら、この古代女王の末裔、そして米原長者にも仮託される古代豪族の末裔かもしれませんね。
焼米氏と名乗るくらいですから、少なくとも鎌倉時代には米原長者伝説は存在した事になります。ただ焼米氏自体、その後どうなったか全く資料が見つからないんです。
いつか地元の図書館で郷土史を調べてみたいと思っています。
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