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2012年2月23日 (木)

フラグの西征  ②暗殺者教団の最期

 フラグはツルイの五男(正室ソルカクタニ・ベキの子としては三男。妾腹の兄が二人いた)として生まれました。すぐ上の兄フビライほどには目立った存在ではなくどちらかといえば地味な存在でした。
 
 しかし彼はこの西方大遠征でペルシャを中心に西アジアに広大な領土を獲得しイル汗国(フラグ・ウルス)の建国者となります。
 
 フラグの西征軍がまず目標にしたのはアラムート城を中心にペルシャからシリアにかけて勢力を持っていたイスラム教シーア派の異端イスマイリ派ニザリ教団でした。
 
 ニザリ教団は正統イマーム(アリーの子孫でシーア派の指導者のこと)の末裔と称するハサン・イ・サバーが11世紀に開いた教団です。アリーの子孫たる教団のイマーム(指導者)を絶対としそれ以外の権威を認めないニザリ派はイスラム世界の異端として主流派のスンニ派ばかりでなくシーア派からも激しい弾圧を受けます。
 
 しかしその事が逆に信徒を団結させ、敵指導者を暗殺する事で対抗するようになります。絶対者たるイマームの命令を実行する事は死後楽園に行けると信じる彼らにとって暗殺は崇高な宗教儀式でした。
 
 ハサン・イ・サバーはペルシャ北部カスピ海南岸のエルブルズ山脈中にあった山城アラムート城を奪取し教団の本拠に定めます。時の権力者セルジュークトルコの討伐軍の攻撃を受けますが、難攻不落のアラムート城によって退け、逆にセルジューク朝の衰退にともなって教勢を拡大する始末でした。
 
 セルジューク滅亡後アラブ世界では小国が分立し、欧州から十字軍までが攻め込むというカオス状態に陥っていました。
 
 ニザリ教団は、暗殺の術を買われ敵対勢力から報酬を貰っては相手を暗殺するという仕事を引き受け、いわば必要悪として存在していました。アラブ諸侯の依頼を受け十字軍諸侯の暗殺を遂行したばかりか、その逆もありえましたから、どの勢力からも嫌われ、そしてどの勢力からも頼られたのです。
 
 アラブ世界の混乱に乗じ、各地に山城と領土を獲得したニザリ教団は、時には数万の軍勢で戦争できるまでに勢力を拡大します。
 
 モンゴル帝国が西方遠征をする前には、ホラズム帝国と激しい闘争を繰り返していました。そのためチンギス汗がホラズムに攻め込んだ時には「敵の敵は味方」という心理からモンゴルに服属を申し出たばかりかホラズムの情報をモンゴルに提供するということもします。
 
 
 しかしモンゴルの野心がペルシャ支配にある事を悟ると、ニザリ教団は遠くモンゴルの本拠カラコルムまで暗殺者を送るようになりました。この時は未遂に終わりましたが、モンゴル帝国にとってニザリ教団が不倶戴天の敵として認識されたのはこの時でした。
 
 1253年、モンゴル高原を発したフラグ軍はペルシャに侵入します。先鋒軍を率いるキドブハはペルシャ国境のニザリ教団の山城を次々と落とすと破竹の勢いで本拠アラムートに迫りました。
 
 
 この時教団内部では時のイマーム、ムハマッド3世とその子フールシャーが教団の支配権を巡って激しく対立していました。フールシャーは父ムハマッド3世を暗殺するとイマームに就任、各地のニザリ領に即位を宣言します。
 
 しかしそれを認めない領主もおり、教団は動揺しました。そんな中のモンゴルの侵攻だったのです。キドブハの軍がアラムート城に達する頃、抵抗の無駄を悟ったフールシャーはモンゴル軍に降伏、その身柄は遠くカラコルムに送られました。
 
 しかし、アラムート周辺の山城は降伏勧告を拒否激しく抵抗し、これらの鎮圧に半年以上もかかります。
 
 フールシャーはカラコルムへの道を急ぎますが、いまだ教団の城が各地で抵抗していることをモンケに指摘され、それらの降伏後でなければ拝謁を許さず、という厳命を受けすごすごと今来た道を引き返すことになりました。しかし、まもなく追いついたモンゴルの追手によって一行ことごとく斬殺されてしまいます。モンケが教団を生かすつもりは毛頭なかったことが分かります。
 
 
 モンゴル軍は教団に属する女子供も含めてすべてを虐殺しました。一か所で八万人殺戮したという記録もあるそうです。ニザリ教団はモンゴルの攻撃によって四散し、残党はインドに逃亡します。莫大な財産を持つというインドのマハラジャ、アガ・ハーンはニザリ教団イマームの子孫を称しています。近世にはいってからはもはや暗殺者を養う事は許されず、アラブの名馬を多数有する馬主として有名になりました。
 
 
 ニザリ教団を平定すると、フラグはカズヴィン近くに滞在しハマダーンを経て次の目標バクダードに向かいました。
 
 
 次回は、アッバース朝カリフ国の滅亡を描きます。
 

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