フラグの西征 ③アッバース朝カリフ国の終焉
アジアからアフリカにまたがるイスラム帝国アッバース朝の首都として最盛期には人口百万を数えたというバクダード。
しかしセルジュークトルコの侵入、その後のイスラム世界の混乱を経て宗教的権威はあるもののバクダード周辺を支配するだけの小勢力に落ちぶれていたカリフ国。
それでも誇り高きカリフ、ムスタッシルにとってはモンゴルに屈する事は絶対にできない事でした。ハマダーンからバクダードに至るにはザクロス山脈を越えなければなりません。
ムスタッシルは、将軍フサーム・アッデイーン・アカーを派遣してザクロス山脈の峠にある城塞を守らせました。モンゴル軍はキドブハを大将とする先鋒軍三万でこれに攻めかかります。
衆寡敵せずカリフ軍を圧殺するとキドブハはそのままバクダードに攻め下りました。間もなくフラグの本隊も到着しバクダードはモンゴル軍によって十重二十重に包囲されます。
フラグはムスタッシルに降伏を勧告しますが、これは拒否されました。各地を征服しトルコ人、アルメニア人、ペルシャ人などの兵力を合わせたモンゴル軍はバクダードを激しく攻め立てます。二十日間の攻防の末栄華を誇ったバクダードは陥落、ムスタッシルはついに降りました。
フラグは、モンゴルが貴人の命を奪う時に行う、敷物に包み軍馬で踏みつぶすという方法でカリフを処刑しました。アッバース朝カリフ国はこれによって滅亡します。
モンゴル軍に休息はありません。次はシリアが目標でした。キドブハと漢人将軍、郭侃(かく
かん)は競うように別動隊を率いて各地を転戦、それぞれ数十の城を落として現地人を恐れさせました。
郭侃はシリアから小アジアに侵入し十字軍とも交戦、連戦連勝で120余りの城塞を攻略し敵軍から「極西の神人」と恐れられました。
一方、フラグの本軍はシリアの要衝アレッポを攻撃します。陥落すると例によって住民の大虐殺、生き残った者はことごとく奴隷に売られました。
アレッポの次はダマスクスでした。アレッポの惨状を目の当たりにしたダマスクスは降伏しキドブハはダマスクスの占領軍司令官に任命されました。ついでシリア全土をモンゴル軍が平定するとキドブハはシリアの総督になります。
フラグがその時どこにいたのかは不明ですが、もしかしたら後にイル汗国の首都になるアゼルバイジャンのタブリーズにいたのかもしれません。
故郷モンゴリア高原と似て高燥であり、遊牧の適地であるばかりか麦の生産地でもある豊かなこの地はフラグを魅了しました。起伏に富みモンゴル人が白い海(チャガン・ノール)と称えるウルミア湖が横たわる美しい風景は戦いに明け暮れるフラグにとって一時の至福の時だったのかもしれません。
しかし平穏の時は長く続きませんでした。モンゴルの圧政に耐えかねダマスクスの住民が反乱を起こしたのです。報告を受けたキドブハはすぐさま取って返しダマスクスを包囲すると45日の攻防の末鎮圧。ここでも大虐殺が行われました。
シリアにおけるモンゴル軍の猛威は隣国エジプトのマムルーク朝を刺激しました。このままでは自国もモンゴルに滅ぼされるという恐れを抱いたマムルーク朝の第四代スルタン、クトゥズは逆に打って出る事によって活路を見出そうとします。
次回、モンゴルとマムルークの一大決戦であるアインジャールートの戦い、そしてイル汗国の成立を描きます。
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