バルフ ‐ バクトリア(大夏)の都バクトラの後身 ‐
常連さんならご存知の懐かしい「都市の歴史シリーズ」。ただ今回は語るべき知識がないので番外編としてお楽しみください。と言っても誰も興味ないだろうが…(苦笑)。
今ちょうど「モンゴル帝国の戦い」(東洋書院)という本を読んでいまして、古代バクトリア王国の首都であったバクトラはバルフと名を変えて、13世紀も健在であったばかりか人口10万を超える繁栄を謳歌していたという話を聞き、ふと興味を覚えたのが始まりでした。
グーグル地図を見てみると、現在の市街地の北小高い丘の上に城壁で囲まれた都市遺跡があるじゃないですか!古代から交通の要衝で幾度か破壊を受けたはずなのにこれほど綺麗に遺跡が残っていて嬉しくなりました。
丸い城壁はいつの時代にできたんでしょうね。アレクサンドロスに率いられたマケドニア軍の一部が守備隊としてこの都市に駐屯したそうですが、その時代に築かれたのなら凄いと思います。
まあ円形都市はイスラム勢力が好んだので、7世紀以降と考えるのが自然ですが、古代ギリシャ人が築いて、中心にアクロボリスの神殿があったとすればロマンですね♪
ところでヘレニズム時代、人口100万を数えたというバクトリアの範囲はどこまでなのでしょうか?アムダリア、シルダリアの河間地方はソグディアナなのでその南でしょう。ウィキで見てみるとアムダリア(オクサス川)からヒンズークシ山脈にかけての地方がバクトリア=トハリスタン=大夏と呼ばれたそうですね。おそらくカブール盆地もぎりぎり含まれるかもしれません。
シルクロードの南に位置し、オアシス都市が林立し肥沃なバクトリアの地は古代から文化が栄えていたんでしょうね。
今内戦の真っ最中で観光どころではないかもしれませんか、いつの日か訪れたいですね。
それにしてもアフガニスタンはいい国だ。ヒンズークシの北はバクトリア、南はガンダーラ。戦争さえなければ観光で世界中から人を集められるはずなんですよ。
« 「炭焼き小五郎伝説」考 | トップページ | 賈充と賈南風 二つの国を滅ぼした父娘 »
「 世界史」カテゴリの記事
- 古代の農業生産力(2023.01.31)
- キュロス2世とマッサゲタイの女王(2022.11.09)
- 秦の昭襄王を苦しめた北方遊牧民義渠(ぎきょ)(2022.08.31)
- 匈奴配下のローマ兵?(2022.08.29)
- 朝鮮出兵時の朝鮮八道石高(2022.08.27)
コメント