ナイル河の氾濫
2011年年末だったと思いますが、NHKワンダー×ワンダーの最終回でナイル川の源流を探る話がありました。私も興味深く見ていたんですが、エジプト文明を築いたナイル河の氾濫は青ナイルの雨季に降った大量の雨が原因だったようですね。
ヘロドトスが「エジプトはナイルの賜物」と感嘆したように古代エジプト文明とナイルの氾濫は切っても切れない深い関係がありました。
インド洋を吹くモンスーンがエチオピア高原にぶち当たって6月から9月の雨季に大量の雨を降らせます。これが濁流となり青ナイル川に流れ込みます。乾季にはエメラルド色の川面もこの時は茶褐色に変わるそうです。
栄養を含んだ大量の土砂は下流のエジプトに流れます。当然エジプトは洪水になりますが、長大な距離を流れるため増水は緩やかで毎年決まった水位にしかなりません。そして洪水が去った時、ナイル河流域に氾濫原と呼ばれる帯状の黒い土を残します。
この土は、栄養が豊富で農業に適しました。エジプトの人たちは洪水が去った後の氾濫原に小麦の種を捲き収穫します。これがエジプト文明の始まりとなりました。
番組ではかつての洪水の写真を紹介していましたが、当時の集落は見事に洪水の最大水位より上に位置していて感心しました。毎年決まった時期に氾濫するため、暦もできたそうですから面白いですね。
ところが現在のエジプトにはナイル河の氾濫は起きません。それというのもアスワンダム、アスワン・ハイダムの建設によって下流の水位は年間を通じて安定しているそうなのです。
ダム建設の目的は、水力発電の電力確保と同時に広大なダム湖(ナセル湖)の水利で農地拡大だったようですが、逆に下流域では土地痩せが深刻な問題となります。というのも洪水は肥沃な氾濫原の黒い土ももたらしていたからです。さらに塩害も加わりエジプト政府はこの対策に頭を悩ませているそうです。
他国の事ですからとやかく言う事はできませんが、『あちらを立てればこちらが立たず』で、難しいですね。
日本にもこのような例はありそうです(苦笑)。
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